凪と茶トラと灰色狼と私。

 4人での共同生活が始まった。

 何よりもびっくりしたのは、凪の生活態度。もう、マイペースにも程がある! というぐらいに酷い。

 朝、交代で2匹を散歩に連れて行くのだが、凪が散歩当番の日、散歩から帰って来ては昼過ぎまで寝る。

 当番じゃない日は、昼過ぎまで、惰眠を貪っている。

 もっと酷い時は、夕方ぐらいに起き出して、お風呂を沸かし、入浴を済ませてから、バイトの日はバイトに、何もない日は、散歩に行ったり、2匹と庭で遊んだのち、夜にまた寝る。

 食事は決まった時間に食べないで、夜中に起き出して台所でゴソゴソしている日もあれば、何も食べない日もある。

 夜中に起きてる日は、遠慮なくテレビをつけて遅くまで見ている。

 洗濯や掃除なんて、全然する気配もなく、何故今まで、あんなにも洋服やゴミが溜まっていたのか疑問だったけど、やっとわかった。

 何もしないからだ!



「凪、ちょっとそこに座りなさい」

 珍しく昼に起きていた凪を捕まえて、リビングとして使用している和室のテーブルに座らせた。

 私が使っていた2人がけのテーブルをちょこんと置いただけの貧相な品物ではあるけれど、この家で唯一の応接セットだ。

「何? 柚月さん、顔怖いよ。何かあったの?」

 あくまでも、のほほんマイペース男の手綱を締める時がやって来た。

「こんな事は言いたくないんだけど、凪! あんたの生活は悪すぎる! 食事を取ったり取らなかったり、お風呂にへんな時間に入ったり入らなかったり、何よりも掃除も洗濯もしない。そんな事じゃダメ男になっちゃうよ。いくら夏休みだからって、ダラダラしないで、もう少し、生活態度を……」

 言いながら、私は何でこんなお母さんみたいな事を言ってるんだろう? と疑問に思うが、これ以上だらしない同居人は見ていたくないし、一緒に暮らしたくない。

「柚月さんって、僕の母さんみたいだね。怖い」

 その一言で、私の親切心は爆発した。





「……これでよろしいでしょうか?」

 凪の前には「お約束条項」

 それを取り上げて、再度確認していく。

「約束その1。食事は決まった時間に食べましょう。食事当番は交代制。2人ともバイトの日は自由。バイトが休みの日は、何も言ってない限り、相手の分も作ってあげましょう」

「はい」

「約束その2。お風呂には毎日入りましょう。入った後は洗って次の人が気持ちよく使えるようにしましょう」

「はい」

「約束その3。洗濯物と掃除は2日に1度はしましょう」

「はい」

「約束その4。狭い家での夜中の活動は止めましょう」

「はい」

「約束その5。彼氏、彼女が出来たとしても、この家には連れて来ないこと」

「……はい」

 取りあえず、腹が立った部分は全て、約束事として、もう2度とやらないと約束させた。

「この約束を守らない限り……」

「一緒には住めない。出て行って、でしょ。わかったよ。でも……」

 何か言いたそうな凪を見つめると、少し言いにくそうに重い口を開いた。

「柚月さんって彼氏いるの? だって、最後のお約束条項が……」

「出来たとしても、って言ってるでしょ? 第一、他の男や女と住んでる家に連れて来てどうするつもりよ? 修羅場にしたいの?」

「そうだね。僕も柚月さんが彼氏を連れて来たとしても、仲良くご飯食べれる自信がない」

 私だって、凪が他の女を連れて来て「柚月さん、僕の彼女。仲良くしてね」と言われても無理だ。

 何が悲しくて、凪の彼女と仲良くしなきゃいけないのだ。

「柚月さん? どうしたの?」

 凪と凪の彼女と私という不快極まりない考え事をしていたので、どうやら少し顔が厳しくなっていたらしい。

「何でもない。とにかく、この5か条は絶対に約束! わかった?」

「……僕からも」

「え? 何?」

「僕からも、約束して欲しい事があるんだけど……」

「何? 散歩当番は」

「違うよ! もし柚月さんがこの生活を嫌になったら、直に言って欲しいんだ。困らせたくないし」

「言うよ、もちろん」

 嫌々他人と暮らすなんて、私には絶対に無理だ。何かあったら凪に出て行ってもらう。

「後、困った事があったら、僕に相談して欲しいんだ。頼りないかも知れないけど、僕だって一応男だし、少しぐらいは柚月さんを守れると思うから」


 柚月さんを守るなんて少女漫画みたいなセリフを、臆面もなく言われたのは初めてだ。使い古されたセリフだけど、本当に言われるとこんなにも照れくさくて恥ずかしいのだと知った。

 そして恥ずかしいだけじゃなく嬉しいのだという事も。

 私は下を向いて小さな声で「わかった」と答えた。

「じゃ、柚月さんも、ここにサインね」

 いつの間にか付け足されたお約束2つ。合計で7つの約束。

 私たちは「大澤凪」「東柚月」と並べて名前を書いた。






 お約束事件から2週間。

 凪なりに、努力はしているみたいだ。

 ふらふらになりながら、朝はちゃんと起きてるし、掃除も洗濯も不器用ながら、何とかこなしてる。お風呂にもちゃんと入ってるし、その後、適当とはいえ掃除している努力も認めよう。

 でも……。

「ねえ、凪。夕食って……」

 凪と顔を合わせて夕食を食べるのはせいぜい週に2回ぐらい。それ以外はお互いに、バイトや用事なんかで適当に食べてくる。

 その滅多にない機会に、私は結構頑張って夕食を作ったりしているんだけど、凪は……。

「え? あのね。今日も店長に言ってね、奥さんに作ってもらってきた」

 ここでも甘え上手を発揮して、なんだかんだと誰かから夕食のおかずを「おすそ分け」してもらってる。

 別においしいからいいんだけど、何となく複雑だ。

 自分の料理よりも奥さんの料理の方が豪華だから、さらに複雑だ。

 女として、限りなく複雑だ。

「あまり奥さんとかバイトのお姉さんに甘えるのはよくないよ。たまには自分で作ってみたら?」

 それなら、どんなに下手でも食べてあげるのに、と思う。

「え? でも皆、凪君が来る日は張り切って料理作っちゃう、とか言って喜んでくれてるよ」

 無言のままの私に気づかず、凪は「おいしい、おいしい」と他の女性が作った料理を食べる。

 その料理に罪はないし深い意味もないのだろうけど、味よりも複雑な感情に支配される。



 甘え上手な凪は、どうやら本当に女性に人気があるらしい。


 バイト先で見た時からわかってはいたけれど、胸のざわつきは前よりも酷くなっていて、折角作ってもらった豪華な料理の味を全く感じる事が出来なかった。