母に思いを受け止めてもらうことのできた数時間後、私は彼のいる病室へと向かった。
彼がいるはずの病室の前で、大きく深呼吸をした。そして、一歩、病室へと足を踏み込み彼の名前を呼んだ。すると、私に背を向けるようにしてベッドに横たわっていた彼がゆっくりと身体を起こしてこちらを向いた。
少し驚いた表情で私の名前を呼んだ彼。私は、彼のもとへとゆっくり近づいて「ごめんね」と小さく零した。そんな私に彼も「ううん。俺が悪かった。ごめん」と言ったあと、優しくいつものように笑ってくれた。
彼と私は、不思議なくらいとても簡単に、一瞬で仲直りをする事ができた。
そしてその後は、今までよりも、ずっと、ずっと、幸せで、ずっと近い距離で一緒に時間を過ごす事ができた。
この日、初めて彼の方から「キス、しようか」と言われた。手を繋ぐことも、ハグも、キスも、いつも私からねだってばかりいた。だから私は、嬉しくて、半分泣きそうになりながら彼とキスを交わした。
彼と何度も交わしたキス。どのキスよりも、この日が一番優しくて幸せなものだった。
ついさっきまで喧嘩をしていたとは思えないくらい、私たちはたくさんハグをして、笑い合って、くだらない話をした。そして、最後には彼の長くなってきた前髪を、明日ハサミを持ってきて切ってあげるね、という約束もした。
本当に、幸せな時間だった。幸せすぎるくらいに幸せな時間だった。これからもこんな日常が続いてくれるなら、どれだけ幸せだろう。何度も、そう考えた。そんな日常を想像して、幸せに浸った。
────しかし。
彼がこの世界に生きていたのは、この日が最後だった。

