これが、彼とした初めての喧嘩だった。

 私は、彼と喧嘩をしてしまった後、帰るあてもなく途方に暮れていた。公園で、ただぼうっとしたり、友達の家に泊めてもらったり。そんな事をしていると、心配して私の事を探し回っていた母とばったり会ってしまった。

 母に連れられ、久しぶりに自宅へ帰宅した私は、彼と喧嘩をしてしまった事を話した。泣きながら彼の事を話す私の言葉を、ひとつひとつ、真剣に母は聞いてくれていた。

 数日前まで、私が彼を支えると決めた事を反対していたとは到底思えないくらい、母は真剣に私の話を聞き、母自身の話もしてくれた。

 母は、父が病と闘っている間の苦しくてつらい出来事も、楽しかったことも、全て、懐かしむような優しい表情で話し終えると、私にひとつだけ確かめるように聞いた。

「その彼といて、この先どんなことが起こったとしても『幸せ』だと胸を張って言える自信はあるの?」

 そう聞いた母に、私は、しっかりと母の目を見て大きく頷いた。


 こうして私の思いを受け止めてくれた母は、その後すぐ私に「彼と仲直りしてきなさい」と私の背中を押した。

 まさかすぐに仲直りをしてこいなんて母が言うとは思わず、戸惑い、立ち止まると振り返った私。そんな私に母はこう言った。

「明日、なんて本当に来るかわからないんだから。それはね、彼が病気だからっていう事じゃない。命限りある人間だからよ」

 私は、この母の言葉を今も鮮明に覚えている。

 彼が心筋症という病を抱えているから『明日』が尊いのではない。

 病気を抱える人だから明日が尊く、儚いものだというのは、それこそ偏見で、差別的であるということ。

 病気を抱えていても、今という時間を健全に過ごしていたとしても、どこに生きていて、何をしていても、明日がどう在るのかなんて誰にも分からない。

 ひょっとしたら、突然、命が尽きるかもしれない。思いもしない事故が起きるのかもしれない。突然、この星が無くなることだってあるかもしれない。

 生きている全ての人にとって『明日』がとても大切なものだと。約束されない唯一のものなんだと。

 この時の母は、私にそう教えたかったのだと、私は今なら分かる。