最後に、何か口にしなきゃと。
顔を上げた私を、陽斗くんは開いたドアで遮った。
「早く行って。航、帰っちゃうよ。」
『うん・・・』
目線を落とすと。
私の見慣れたヒールと、陽斗くんの衣装用のキラキラの靴。
その不釣り合いさが。
何だかとても、現実的に見えた。
「あのさ、理沙がここにいるとさ。
俺、いつまでも泣けないじゃん。」
『えっ、陽斗くん泣くの?!』
思わず、雰囲気が紛れて素っ頓狂な声が出ると。
「泣くよ、悪いか。」
肩を少し、竦めてみせて笑う。
細まっても尚熱い瞳に、整えられた髭。
何もかも、よく知ってるのに。
もう決して触れてこない左手を、私はまだ知らない。
これ以上ここにいたら。
また泣くのは、私の方だと知る。
『ありがとう。』
首を振る彼に、もうそれ以上の言葉が浮かばなくて。
その一言を最後に、彼の開けたドアを潜って。
私は、走り出した。
とにかく、2階にある一番突き当たりの部屋。
陽斗くんの教えてくれたそこを、ただひたすらに走って目指す。
早く、行かなきゃ。
早く会って、伝えなきゃ。
9センチもあるヒールじゃ、跳ねるばかりで前に進めない。
あまりに逸る心から、ついに私は片足ずつ靴を脱いで。
片手に纏めて、素足で走り出した。
螺旋状の階段を駆け上がれば。
回りきれなかった手摺に靴が当たって。
片方がカラカラと、音を立てて落ちていく。
それでも、私は。
もう二度と、立ち止まれない。
上がりきった階段。
情けなくもつれ始めた足で、更に先を目指して。
きっと、この辺り。
いくつか連なり始めた部屋の景色に、ますます焦る心と身体。
左胸の爆音が、また一段と騒ぎ出す。
早く、彼をと。
身体中が、彼を探してる。
辿り着いた、一枚のドアの前。
胸を押さえようとするけど、込み上げるばかりでキリがない。
口の中に広がる、乾いた血の味。
だけどもう、そんなことにもかまっていられない。
何となくだけど、絶対そう。
このドアの向こうに、航大がいる。
ノックなんて、しなくても。
はっきりと目に浮かぶ。
あの男なら、きっと。
『・・・航大っ・・・!』
こうして、ElviraのTシャツに、ライダースを肩にかけて。
オールバックに上げた髪に、胸元で揺れるクロムハーツ。
シャネルのサングラスと、片側だけ上がる口元。
よく見慣れたはずの、その佇まいは。
痺れるほどに、圧倒的で。