何年経っても、消えない記憶。
身体が憶えてる、翔さんの温度。
『何にも触らないでって、言ったじゃん。』
震える声を振り絞ったときには。
とっくに、手首は自由になってた。
「10分、経ったな。」
あっさり、立ち上がった姿は。
予想通りでもあり、違ってもいた。
『あっ、ちょっと待って。私、渡したいものがある、』
通帳。渡さなきゃ。
何だか妙に力の入らない身体を引きずるように、立ち上がろうとすると。
「持ってこい、ニューヨークに。」
『行かないって。』
「その時は、それも捨てろ。チケットと一緒に。」
変わらない、身長差。
柔らかい髪の毛に、指先を差し込めば。
まだ、あの香りがしそうな気がした。
玄関へ歩いていく背中を。
リビングから出ないまま、見送る。
あの、晴れた朝のように。
『ねぇ。』
どうしても、聞けなかったこと。
何回も心の中で繰り返しては。
幼すぎた私には、無駄なプライドが邪魔して。
声にも、できなかったこと。
『どうして、あの朝。私も連れて行ってくれなかったの?』
振り向いた、翔さんの瞳に。
あの朝に戻ったような、錯覚を覚える。
「俺がこの3年間、向こうでどんな生活してたか知ってるか?
ネズミが出るような部屋で、朝から晩まで帰らなかったんだぞ。何日も戻れない日もあったし。」
『うわ、最悪w』
「お前、絶対無理だったろ。笑」
『だね。』
だけど、そんな生活も。
この人なら、様になっていたんだろう。
「連れて行きたかったよ、どこにだって。」
私も、きっと行きたかった。
翔さんのいる場所なら、どこにだって。
「昔も今も。俺の人生には理沙子しかいないんだよ。」
そう、あのとき言ってくれてれば。
「関係がどんな形になっても、変わらずにそうなんだと思えた。だから、置いて行ったんだよ。
失えない、大切なものだと思ったから。」
そう、私が逃げずに。
あのときちゃんと、聞けてれば。


