夜というのは普通黒いものだけど、夏祭りの夜というのはまた別だ。

 色とりどりの屋台にオレンジ色の電球が灯る町並みは黒くなんかない。活気の溢れる屋台。人混みの中の喧騒。現実にむせかえる焼きそばやわたあめや……とにかく、食べ物の匂い。
 
 そのくせにどことなく幻想的で、それでいて絶対的な夏。

 空が明るいから、紺色や、藍色の方が近いかもしれない。そこへ足される、ごちゃごちゃして曖昧な色。

 喧騒の中を独りで佇むのはなかなか心もとない。慣れない格好をしていればなおさらだ。

 普段は適当に下ろして結んでいる髪を、母がきちんと上げてくれた。うなじを通る風がくすぐったい。思わず手を髪にやってしまう。髪飾りの花がしゃらり、と手に触れた。
 
 白地に小さい金魚柄の浴衣に赤の帯。暗い色をどうしても好んで着てしまう自分では絶対に選ばない配色だ。
 
 どこにあったのか、佐竹ちゃんがうちの押し入れの奥から突然引っ張りだしてきた。あの子本当に怖いんですけど。


 私は欄干のそばに立って、行き交う人をぼうっと眺めていた。
 
 どんどん、ぱらぱら。
 スカイツリーのすぐ横に、様々な色かたちをした花が咲く。

 人々のさざめきの中、一際大きく唸って咲く大輪の花。
 地響きとともに上がる火薬で出来た花。
 
 こんなに大勢の人の中じゃ、埋もれてしまいそうな自分を。
 
 彼は見つけてくれるだろうか。




「真綺」


 名前が、呼ばれた気がした。
 はっとして人混みの中を探す。背の高い彼のことはすぐ見つかった。
 そして……赤面して、しまった。


 だって彼は、見慣れない甚平姿で。
 草履を履いて、慌てたようにこちらへ駆けてきて。でも人が多いのと、きっと履きなれていないのとであまり急げなくて。

「良かった、合流でき……て」

 
 声が途中で尻すぼみになり、ぶわっ、と彼の頬が朱に染まった。

「浴衣」
「あ、はい」
「着てきてくれたんだ」

 恥ずかしいのはこちらなのに、どうしてか彼がそっぽを向く。

「あの……」
「はい」




「可愛い」




 たっぷり十秒は口を開けたり閉じたりした後で、彼は耳元に口を寄せてそう言った。

 うわ、だから。
 その声で、囁くの、やめて欲しい。

 慌てて飛び退く。のを見越した奏汰さんにがっしり肩を掴まれる。萎縮した私の頭上で、「すみません」と謝る声がした。
 ああ、隣の人とぶつからないようにしてくれたんだ。


 じゃ、ない。
 正気に返った自分が激しく動揺する。



 これ!! どけて!!!



 心臓が、もたないから。

 
 声には出さなかったけど身じろぎに気づいた奏汰さんが「わ、ごめん」と慌てて手をどけた。
 どこの中学生カップルですか私たち。もう付き合って二年にもなって、どうしてこんな事でドキドキしなきゃいけないんですか。

 それからお互いに顔を見られずに、しばらく無言で花火を見つめた。
 
 何も考えていなかったわけではない。話題を探していただけ。
 そしてようやく、自分が先ほどのドタバタに気を取られて彼の服装に触れていなかったことに気づく。

「奏汰さんも……甚平ですね」
「ああ、これは。本当は急いですぐに来たかったんだけど、母さんが弟と俺に着せるって言って聞かなくて」
「ああ、大輔くん。元気ですか?」
「とてもね。今頃奈緒ちゃんとよろしくやってるんじゃない?」

 彼にはイケメンな弟くんがいる。幼なじみだという可愛い彼女さんもいる。彼らふたりは私にはちょっと眩しいくらい、『青春してる』って感じで、時々羨ましい。

 もちろん奏汰さんに不満があるとか、そういう訳じゃない。そうじゃなくて、ただ純粋に、「若いっていいな」と思うだけ。

「若いっていいよなあ」

 同じことを考えていたらしい奏汰さんが、うち上がった花火を見ながらそう呟いた。

「いいですね」

 私も同じこと、考えてました。

 そう白状すると、「じゃあ、お揃いだ」とふんわりとした笑顔を彼が向けてきた。

 ああ、この顔が。この瞬間が。
 どうしようもなく。


「好きだよ」
「好きです」

 重なった声のあとを追うように、大きな花火が続けて二発、三発と打ち上がる。
 それはまるで私の鼓動を写し取ったかのように、夜空に鮮やかな色彩の絵を描いた。