「お兄ちゃ……」


開いた口がそのまま固まったのは、ドンと鈍い音が私のすぐ横で聞こえたからだ。
玄関の扉が閉まった途端に、お兄ちゃんはその扉を思いっきり殴っていた。
私の顔のすぐ隣を。
何が起きたかなんて分からなくて。
呆然とお兄ちゃんを見る事しか出来ない。


「和葉」


いつもよりずっと低い声。
こんな声は聞いた事がなくて。
目の前にいるのがお兄ちゃんじゃなくて別の人に思えるんだ。
でも、確かにお兄ちゃんで震える声を必死に絞り出す。


「な……に……?」

「……」


お兄ちゃんは喋る事なく私と視線を交じり合わせようとする。
だけど、心の声を聞く訳にもいかなくて、逃げるように視線をずらす。


「ちゃんと俺の目を見ろ」

「っ……」


両手で頬を掴まれて固定をさせられる。
反射的に目を瞑ったけれど。


「和葉」


その低い声が私の目をこじ開けるんだ。
ゆっくりと開いた目。
その先にはお兄ちゃんの瞳があって、視線が交じり合う。
それと同時に頭の中に声が入ってくる。
久しぶりに聞いた心の声。
それは壊れかけた心を持つ私を絶望に落すには十分すぎたんだ。


「(化け物)」


お兄ちゃんの声なのに。
それは私を蔑む様なモノだった。

聞きたくないと心の底から思っていた言葉。
何よりも恐れていた言葉。

それが他の誰でもないお兄ちゃんから向けられる。
考えたくもなくてそれを爆発させる様に叫んだ。


「ああぁぁぁ」


頭を支配するのは『化け物』という言葉で。
繋ぎ止められていた心はいとも簡単に壊れていく。

涙すら出ない。
ただ叫ぶ事しか出来ない。

だけどその声も。
次第に掠れて。

唯一出来た叫ぶ事も出来なくなったんだ。