いきなりだけど
みなさんはどうしていま自分が歩いてる人生があると思いますか?

いまこうやって時を刻む時間とか、ある時不意に不思議に思ったことはありませんか?

いつものように朝を迎えて昼をすぎれば夜が来て必ずしも開けない夜はないといいますね

この「あたりまえ」はどうしてあると思いますか?

その前にこのことすべては当たり前なのでしょうか

私のがもしこの質問をされたらきっとこう答えるでしょう

「いいえ」

なぜなら私は
この世に前なんて存在しないと考えているからです

どうしてドラマや映画にはあんな風にストーリが存在するんでしょうか

そんなのきっとみなさんはわかってるはず

「台本を作る人がいるから」

パソコンやスマホがこの世に存在する意味は何でしょうか。
それもおわかりですね?

難しいことではありません。簡単なことです
社会科で習いませんでしたか?

「需要と供給」

という言葉を。

誰かが必要とするからそれらのものは存在するのです。
それは私たちも同じ。

私たちのストーリを作る人がいてもっと前に遡れば
この街や宇宙など、ありえないほど事細かに作ったひとがいて
誰かに必要とされているから私たちはこの世に生をうける。

それはいずれは愛してる人になっても1番初めに私たちの存在を
必要としたのは親ですよね?

ある意味行ってしまえば物は商品としてお金を出して買いますが
その商品を私たちが手に入れた以上じゃ私たちはその商品の親になるのです。

いま誰かに必要とされてるからという話をしました。

では誰からも必要とされなくなったときは死んでしまうのでしょうか

それは違います

ものが壊れるのは何ででしょうか?

それはその物に決められた寿命が来たからです。

物も私たちもそうです。
物などは人が作ります。

私たちを作るのはでは誰でしょうか?

私はそれは「親」ではなく「神様」だと思っています
私は神様はいると思っています。

いろんなたくさんの神様がいて私たちの物語を作って
そのお話が完成したら私たちはこの世に生を受けその台本通りに歩んでいくんだと思っています。

でも
もし神様がいるのならこれから起こること全てを教えてくれたら。

そんなこと思いませんか?

私はそんなことを思います。
そしてこの小説の主人公櫻井澪(さくらいみお)も同じことを思っています。

だってすべてわかっていれば
…始まりも終わりもすべて綺麗なのかもしれないから



















いつもそれは突然で

何もかも唐突にはじまる。

もし神様がいるとしたら神様が私たちのことを作ったのだとしたら
すべて見せてくれればいいのに。

神様は卑怯だって思ってしまう。

そんなことを思う高校2年生
今日だってそうだった。

今日寝過ごすことをもっと前に分かっていればあんな遅くまで
先輩と電話したりなんてしなかった。

自転車のブレーキの調子が崩れてしまいことをもっと前に分かっていれば
もっと前に定期的に自転車の点検にだって少し面倒でも行ってた。

こんなことになってしまうなら
もっとどうにかできたのかもしれないのに。

本当に神様は時に優しくでも卑怯で酷い。