朝。アロイスが目覚めると、彼女は自分のベッドにいた。あの出来事は夢なのか、とも思ったが……頬に涙を流した形跡がある事と、それを拭う左手の薬指にあの刻印がある事に気付いた為、思い直す。それはつまり、この世ではない場所ではないにしても、自分を女性と思ってくれる男がいる証拠であり、図らずもときめいてしまう。そんな彼女を現実へ引き戻すように、誰かが戸を叩く。メイド長のアンヌである。亡くなった母の親友で、彼女の事情を知る数少ない人間である。また、母のいない彼女にとっては母のような存在だ。
「旦那さま、来客でございます」
「こんな時間にかい?」
「はい」
 貴族の人間は大抵、朝は眠っている。舞踏会やパーティーの類いが、仕事の一部である彼らは、夜遅く或いは明け方まで家へは帰れない。その疲れが癒えるのは昼頃だろう。しかし、ルーネンベルク家は領民との交流を愛している。その為、領民が仕事をしている頃合いに起きる習慣があった。
アロイスが目覚めたのは、普段よりも三十分よりも遅い程度の時刻。すなわち、今回の来客は貴族ではなく、領民である可能性が高い。
「分かった、すぐ支度しよう」
 寝台から起き上がったアロイスは、いつもの黒い三つ揃いに着替えた。ベストの付いたこのスーツならば、胸のラインを誤魔化し易いので、愛用している。彼女はグラマラスな方ではないが、流石に十代半ばにもなると、体型は女性らしくなってきた。何時までこうして隠せるだろうか。毎朝、そう悩んでいるのだが、誰も彼女を男性と信じて疑わない。それはそれで、悩んでしまう。
「ああ、いけない。急がなくては」
 鏡に映った自分にそう言うと、アロイスは少し慌てながら、さりとてそれを悟られないように装いながら、彼女は寝室を後にした。来客が待っているであろう、応接室へ向かう。
「伯爵さま、このような時間に押し掛けて申し訳ございません」
 そこで待っていたのは、領民たちと領主のパイプ役であるルートヴィヒとその息子テオドールであった。双方、農作業の為に赤く焼けているはずの肌を真っ青にしている為、ただならぬ事態が発生した事が窺える。
「気にせず。それよりも、何があったか話して欲しい」
「はい。実は今朝、悪党…いえ、領内に得体の知れない生物が入り込んで来て、皆が襲われています」
「何だって?」
 その生物の特徴を詳しく聞いてみると…昨晩、フランツを襲った生物と合致する。それは自分が殺したはず。その動揺に気付いたテオドールは微かに嘲笑を浮かべた。十八歳で、農作業と喧嘩で鍛えた腕っぷしを誇り、領内の若者から信頼を一身に受ける彼から見れば、成人したばかりで、どこか女性的なアロイスは非常に頼りない。父が、アロイスに話すべきだと言った事にも、納得出来ていなかった。
そんな彼が、ほれ見た事かと言わんばかりの顏で見ている事を知らないアロイスは、ゼノンならば何か知っていようと思いながら、二人に向き直る。