一瞬、闇に包まれたかと思うと…次の瞬間には、見知らぬ土地に移動していた。天を貫く剣のようなモノが、幾つも聳えている。ゼノンが建物であると言うが、アロイスは俄には信じられない。そんな事を言っていると、ゼノンの体は少しずつ浮かび上がって行く。思わず、彼の首に縋り付いてしまったアロイスは、顔を青くしながら地面の方を向くと…黒い革靴を履いたゼノンの足が、空中を階段のように踏み締めているのが見える。明らかに異様な事であるのだが、鳥のように翼を振り回して飛ぶと思っていたアロイスは、少しだけ安堵してしまう。
「さあ、着いたよ」
 剣のような建造物の中でも、最も背が高い…城であろう建物に入る。内部は、想像よりも有機的で、幾何学模様のステンドグラスや草木の柄が刺繍されたカーテン、赤い布と純金で出来たソファーにガラス製のテーブル。シェーンブルン王国の王城にも劣らない美しい部屋は、応接室であるらしい。窓からこの部屋へ入ったゼノンは、黒い大理石のような材質の床へ、アロイスの体を優しく降ろす。同時に、先程までの威圧感は何処かへ消え去り、温和な空気を醸し出す。その変化に面食らう彼女の顔を、彼は身を乗り出すように覗き込む。
「大丈夫?ごめん、勝手に連れて来られて、嫌だったよね?」
 濡れた仔犬のような瞳で見られ、アロイスは反射的に首を横に振ってしまう。
「違うんだ、その…君の性格が、先程までと余りに違うものだから、驚いた」
 正直に白状した彼女を見ながら、ゼノンはからからと笑った。先程の高圧的なそれとはまるで違う、爽やかな声に、アロイスはフランツの面影を見い出す。失恋のショックは、自分が思っていたよりも大きいらしい。そんな風に自嘲する彼女に、彼は優しい声で語り掛ける。
「先程の私は、私であって私でない。そもそも、ゼノンと言う名前も私のものではない」
「どう言う事だ?」
 曰く、彼は元々人間であったらしい。人間でありながら、高い魔力を有していた。しかし、人間の体はその高い魔力に耐えられず、若くして亡くなってしまう。その魂と魔力が、千年前に死んだ魔王ゼノンの遺体に宿り、蘇った存在が今の彼であるらしい。人間界では、魂よりも肉体の方が優位である為、ゼノンの存在に引き摺られ、魔王らしい振る舞いをしてしまう。しかし、この世界─魔界、であれば魂の方が優先される。その為、ここでは魂が思うままの言動が可能らしい。
「引き摺られていたと言っても、結婚したいと言うのは、私の意思だよ」
「何故、そう思った?」
 彼女自身、男性であろうと言う決意は堅いものの、心の底から男性になりたいと思った事は一度もなかった。一方で、彼女を女性と疑う人物も皆無である。その為、彼女は女性としての自信を完全に失っていた。
「君が、心の美しい女性だからさ」