翌朝、ルーネンベルクの館で目を覚ましたアロイスが、最初に見たものは、ゼノンの顔だった。驚いた彼女は、勢いよく飛び起きる。
「何故、君がここに……」
「貴様が、手を離さなかったからな。ここに留まる他になかった」
 フンと冷たく鼻を鳴らす彼を見て、彼女は申し訳ない気持ちになってしまう。
「すまない。君は今、忙しい身だと言うのに」
「まあ、構わん。何れにしろ、しばらくは人間界に留まる事になるからな」
「もしや、エーリヒがこちらへ?」
「ああ。ヴィリバルトやリリスもこちらへ向かっている」
「そうか…」
 その話を聞き、彼女は前日に覚えてしまった恐怖を思い出し、思わず自分の体を抱き締める。ふるふると震える細い体を、彼は強引に引き寄せた。彼の胸板に落ちた時から、ゆっくりと不安がとけていく。
「案ずるな。貴様の夫は、己が妻を脅かす不届き者を許すような男ではない」
「そうか、ありがとう」
 彼女の表情が柔らかくなったのを確かめた彼は、ゆっくりと寝台から離れていく。
「では、奴を探して来る。貴様は、自分の仕事を全うしていればよい」
「だが、僕も何か……」
「領主が妙な動きをすれば、民に無用の不安を与えかねん。今は大人しくしていろ」
「しかし……」
「何か情報があれば連絡する。あの手鏡を決して離すな」
 彼女の額にキスを落とした後、彼は部屋の窓から、出て行った。まるで落ちるように消えたので焦ってしまったが、彼が空中を歩けると思い出した彼女は、ホッと胸を撫で下ろす。
「よし、僕も仕事をしなくては」
 自分の両頬をぱちぱちと叩いた後、いつも通りスーツに着替えた彼女は、書斎に寄り、鏡を取りに行く。それを、上着の内ポケットに潜ませる。
「おはようございます」
「ああ、おはよ……う?君が、何故ここに」
 リリスがいた。しかも、ルーネンベルクのメイド服を着ている。
「ゼノン陛下より、王妃さまの護衛を仰せつかりました」
 彼女が生まれたアスモデウス家は幻術を得意とする悪魔の一族。その為、ルーネンベルクの使用人や領民にも幻術を掛け、以前からいるメイドと思わせているらしい。
「分かった。僕も、そのように話を合わせる」
「ありがとうございます」