化け物の騒動が収束し、その事後処理も終わった為アロイスは、魔界へ向かう支度をしていた。と、言っても念じるだけで女性の姿になれる為、あっという間に済んでしまう。長い髪も、ドレスも、生まれて初めての為、どうも居心地が悪い。ゼノンのくれた手鏡で、何度か髪を確認していると部屋の姿見が黒いもやに覆われる。何事かと目を見張ると、鏡の奥からゼノンが現れた。
「支度は済んでいるようだな」
「ああ」
「では、行くぞ。今宵は戴冠式だ」
「戴冠式?」
「貴様は、我が妻であると共に共同統治者となる。それを大臣どもに承認させる為の儀式だ」
「なるほど」
 政治において、そのような儀式が重要な意味を持つ事は、彼女は十分承知している。ただ、面倒くさいと言いたげな顔をする彼の気持ちも、分からなくはない。
「儀式の後には、宴の席もある。それを考えていれば、直ぐに終ろう」
 そう言いながら、彼は彼女の体を抱き上げる。当然のように、お姫様抱っこだ。
「昨晩も思ったが、やめて貰えないか……これ」
「嫌だとでも言うつもりか?」
「その、別に……嫌じゃない。女に生まれたからには、憧れがないと言えば、嘘になるからな。しかし、いきなりされると……驚く」
「なるほどな。以後気を付けよう」
「頼む」
 そんな話をしながら、彼は彼女を抱えたまま、鏡の中へ戻る。そこは、魔界の城だった。昨日も来た部屋だが、今晩は他に人がいる。 宰相ヴィリバルト・フォン・ブルトシュミットとメイド長リリス・アスモデウスであった。双方、恐ろしいほどに美しい。すみれ色の髪と赤い瞳、血管が透けて見えるほど白い肌に知性を感じさせる顔立ちのヴィリバルトは、右眼に片眼鏡を掛けており、切れ者である事が一目で分かる。リリスはピンク色の髪をコウモリの羽根に似せたツインテールにしており、緑色の大きな瞳も丸っこく、可愛らしい印象だ。しかし、メイド服のデザインが…胸や脚が見えてしまう扇情的なモノである為、同じ女であるアロイスは、思わず目線を逸らしてしまう。
簡単な挨拶をした後、アロイスはリリスの案内である部屋に入る。黒と灰色を基調に時折、金や赤をあしらった不気味だが美しくもあるこの部屋は、今日造られた場所であり、アロイスの部屋になると言う。ルーネンベルク館が半分は入りそうな部屋でどうすればいいか。質素倹約を良しとする家に生まれ育った彼女にはそれが分からない。きょろきょろと辺りを見回すと、巨大な窓の側にドレスを着たマネキンがいる。
黒を基調に、各所に灰色のフリルを配し、所々には金色の糸で刺繍が入ったエンパイアラインのドレス。今、彼女が着ているドレスよりも優美で高貴な印象だ。美しいが、それ故に気後れしてしまうアロイスにリリスは静かに言う。
「そちらは、ゼノン陛下よりの贈り物でございます。気に入ったら、戴冠式で着て欲しいとの仰せでございます」
「気に入るも何も……」
 余りに美しいので、自分が着るのももったいないと思ってしまう。だが、自分が着る為に用意してくれた物を仕舞い込むのも失礼だ。意を決して、ドレスを着替える。魔力を用いて着替えたが……随分、大変だった。人間の貴婦人やメイドたちは、自力でやっていると思うと、アロイスは少しだけ…男として育てられて良かったと思う。
一汗かいたよう疲労感を抱えながら、先程の部屋へ戻る。ゼノンの支度は未だ終わっていない為、そこで静かに待つ。