赤面する彼を見て漸くそれを思い出す彼女だが、動揺している暇はない。今度は左から、別の個体が向かって来る。左手に持ったままの剣を、鞘から抜かぬまま振り回し、化け物の横っつらを殴打する。そして、直前に右手で剣を抜き、右前から突進して来る個体を斬り伏せた。これで、残りは五体。全員斬るのはまどろっこしいと思った彼女は、ゼノンの力を借りる事にした。
「我が夫、ゼノンの名の下に命じる。反逆者ギギルスの下僕ども、ここより永久に去るべし」
 そう言いながら指を振ると、触れてすらいない化け物たちは、おぞましい悲鳴を上げながら霧散していく。辺りに化け物の気配がしない事を確かめ、彼は彼女を見る。
「あんた、一体……何者だ?」
「名乗るほどの者ではありません。この周囲にあの怪物が出現する事はないですから、もうお会いする事もないでしょう」
 必死に女性らしく取り繕う彼女を、彼は一心に見詰めた。その瞳には、寂しさが見て取れる。
「そっか……」
「はい。では、失礼いたします」
 ボロが出ない内に彼の視界から消えたい彼女は、そう言い残し……本当に消える。
「あ、待てよ!」
 彼が何かを言わんとしている事にも、気付かないまま……。
「大丈夫、大丈夫」
 知っている場所へ移る能力を使ったので、自分の部屋へ戻った彼女を待っていたのは、ゼノンだった。気付かれていないと思いたい彼女を、睨むような顔で見ている。
「貴様、あの男に……服の中を見られてはいないだろうな」
 服の中?一瞬、意味が分からなかった彼女だが、テオドールが赤面した瞬間を思い出す。
「だ、大丈夫さ……多分」
 誤魔化したものの、誤魔化し切れていない自信のある彼女の顔を、大きな手が掴む。親指で右の頬を、中指で左の頬をぷにぷにしている感触で、一見すると同年代の彼の手が如何に大きいか分かる。そのお陰で、彼女は…男性になりすましているだけの自分と本当の男性が如何に違うかを思い知ってしまう。
「貴様は、俺の妻だ。その肌を見る権利を有するのは、夫のみぞ。それを肝に命じておけ」
 そう言う彼の顔はどす黒い表情が張り付いているが…その内にいる魂の事を思うと、彼女は「案外嫉妬深いんだな」程度の感想しか持てない。
「分かった。以後気を付けよう」
 その返事を聞いて満足げな彼を見て、彼女がときめいてしまった瞬間、再びアンヌが部屋の扉を叩く。また来客だと言うので、彼を部屋に置いて応接室へ向かう。そこにいたのは、テオドールだった。
「どうした?例の怪物は、もう出ないよう手配してくれたはずだが……」
 他人がやった事と言う体で話しているが、内心、気付かれないか不安でたまらない。そんな彼女に、向こうは思いがけない事を言う。
「あの人、知り合いなんですよね?」
「あ、ああ。そうだ」
 そう言うと……彼は、いつもの歯切れの良さが嘘のようにもごもごと話す。
「あの、その……つまり、あれだ、えっと。俺……何にも見てませんから、安心してくださいと、伝えて下さい」
「それは、どう言う」
「言えば、分かるはずですから。それじゃあ」
 真っ赤な顔で出ていく彼の背中を見た彼女は、この話をゼノンにしようと心に決めた。