愛しい人



なぜ彼女はあんなことを言い出したのだろう。

花名が部屋を飛び出していったとき、追いかけることもできないくらい、純正は衝撃を受けていた。

どさりとソファーに身を投げ、頭を抱える。

「……なにが正解だったんだよ」

あのまま花名を抱くこともできた。性欲がないわけではないし、彼女のことを満足させるくらいの自信はある。けれど純正は、儚く可憐な花名をそばに置いて愛でていたかっただけだ。

純粋無垢な彼女を自分色に染めたい衝動にかられたことはあるけれど、それを抑える理性くらいは持ち合わせている。態度に出ていたとは考えられない。

だから花名があんな行動に出たことが純正には理解できなかった。

「あとで彼女に聞くしかないか」

 落ち着いてちゃんと話をしなければならないだろう。このままでは彼女もここへ来ずらいはずだ。

純正はこれ以上考えることをやめた。ソファーから立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して一気に飲み干した。

風呂に入り、用意してある部屋着に着替える。リビングに戻るとカウンターに置いてある花名の作った料理が目に入った。

それほど空腹は感じていなかったが、このまま捨ててしまうのは憚られる。純正はスツールを引いて座った。

「今日はビーフシチューか。……いただきます」

 人参はきちんと面取りがしてあって、バゲットは食べやすいサイズにカットしてあった。サラダのドレッシングは毎回手作りだ。

手を抜こうと思えばいくらでもできるのに、いつも手の込んだものを作る。

母の看病と、花屋の仕事をこなして疲れているだろうに。掃除だって洗濯だっていつも完璧だ。
そんな花名にこれ以上何を求めるというのか。

「ごちそうさまでした」

 おいしかったよ――そう花名に言えないのが残念だ。
そっと手を合わせて、立ち上がる。その時、なにかが床に落ちていることに気が付いた。