愛しい人

「ええ、父はこの病院の院長です」

 ほんの少し言いにくそうに晴紀が言ったのを聞いて、彼はとても謙虚な人なのではないかと想像した。親の権力の上に胡坐をかくような人ではない、まるで樹のような。

「やっぱりそうなんですね! 母が大変お世話になっています」

 花名は深々と頭を下げた。すると晴紀は困ったような顔をする。

「そんなかしこまらないでください」

「でも……」

「僕はただの医者に過ぎませんから。父が院長ってだけで、えらくもなんともない。そんなことよりも、お母様治療が無事に始められてよかったですね。僕は主治医ではないですが、結城からすべて聞いています」

「おかげさまで、ありがとうございます。結城先生にはとてもよくしていただいています」

「結城はいいやつでしょ。医学部時代からの付き合いですから。あいつの事ならなんでもわかりますよ」

「そうなんですね! でしたら先生のことで教えていただきたいことがあるんです」

「結城の事?」

「はい。少し込み入った話になるんですが、……こんなこと誰も相談できなくて……」

 晴紀になら、話してもいいのではないか。そう思ったのは、彼の第一印象がとてもよかったことと、学生時代からの付き合いがあるのであれば純正の考えていることがわかるのではないかと思ったからだ。

「いいですよ。ここじゃ何ですから、改めて時間を作りましょうか?」

 晴紀が快諾してくれて、花名はとてもうれしくなる。

「そうしていただけるんですか?」

「ええ、もちろん。これ、僕の連絡先です」

 晴紀は白衣のポケットから財布を取り出すと、一枚の名刺を花名に差し出した。

「電話は出られないこともありますが、メールならいつ送ってくれても大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

 花名は両手で名刺を受け取ると、丁寧にお礼を言った。

「じゃあ、また」

「はい。連絡します」

 廊下で晴紀と別れて仕事場へと戻った花名は、仕事を始める前に先ほどのお詫びを兼ねたあいさつメールを送った。もらった名刺は手帳の間に挟んでそれから夕方の閉店時間までは無心で働いた。