愛しい人



マンションに着くと、純正は風呂を沸かし体を温めてくるようにといい。花名は素直に従った。

「ゆっくりしておいで」

「ありがとうございます」

樹の家でも風呂には入らせてもらっていたけれど常に気を張っていた。

もし、樹が入ってきたらと考えてしまい落ち着かず、いつもすぐに出てきてしまっていたのだ。

温かい湯船に浸かると凝り固まっていた体がほぐれていくのがわかる。これまでいかに自分が緊張状態にあったのか気付いて自然と涙が出てきた。

あの日から十日。毎日がとても長く感じた。

花名は自分が置かれた状況が明らかにおかしいと気付いてから、樹の機嫌を損なわないように言動に注意して過ごした。

従順で居れば樹は常に優しかった。けれど、心を尽くしても花名が樹に好意を示すことはない。考えあぐねる時間が日に日に長くなり、徐々にやつれていくのが見て取れた。かわいそうだとは思うが、どうすることもできなかった。

樹の思いに応えることはできないからだ。

樹は元来悪い人間ではないことを花名はわかっていた。だからこそ早く間違いに気づき、自分を解放してくれないかと願う毎日だったのだ。