愛しい人

「終わりました。樹さん」

 緊張のせいか、慣れない作業だからか、気づけば始業時刻を大幅に過ぎてしまっていた。

「遅くなって申し訳ありません」

「全然、大丈夫だよ。じゃあ、行こうか。そのまま外回りにいくから荷物も持ってね」

「はい」

 歩きだした樹を花名は追いかける。

午前中は樹が講師を務めるスクールに行き関係者に挨拶をした。

それから社用車で店舗を回り、新規出店する予定だというショッピングモールを訪れた。

本来は本社の営業部門の仕事だが、樹は会社の顔だ。

担当者は快く出迎え、手厚く二人をもてなした。

出店予定のブースを見せてもらい、このまま帰社するものだと花名は思っていたが、担当者から思わぬ提案があった。

「もしよろしければこの後に会食の席を設けさせてください」

「ありがとうございます」

 樹は二つ返事で了承したが花名は困惑していた。

会食ということは、夜遅くなってしまうだろう。

そうなれば母の見舞いにも行けないかもしれないし、純正の夕ご飯を作るのだって間に合わない。

「小石川さんもぜひご一緒に」

「私もですか?」

「ええ、もちろんです」

 配置換えになり二日目にして樹の顔に泥を塗るわけにはいかないだろう。これは仕事だ。
とにかく早くお開きになることを願うしかない。

「ありがとうございます」

 にこりと笑って頭を下げた。