少年に別れを告げる日

掃除をしていた美織は電話が鳴っていることに気付き、慌てて受話器を取った。

「はい、鷹栖です」
「おお、美織か」
「おじいさま、お久しぶりです」

美織にとっての龍虎は優しいおじいちゃんだった。剣術に関わっていないからか、龍虎が美織に厳しい顔を見せることはなかった。

「伊織はいるのか?」
「道場にいます」
「今、道場の近くにいるから、少し顔を出そうと思ってな」

一度は病気で息子……つまり伊織達の父に当主の座を譲り、長期間入院していた龍虎だが、伊織達が物心つく頃にはすっかり元気だった。

伊織が13歳になるまでの約7年間、当主の役割は龍虎が果たしていた。伊織に剣術と当主の心構えを叩き込んだのも龍虎だ。

「じゃあ、道場の前で待っていますね。伊織も喜ぶと思います」

伊織は最近元気がなかった。体調が悪いというよりは、落ち込んでいるように見えた。それを紛らわすかのように、今まで以上に剣術に打ち込む伊織が美織は心配だった。


「美織。少し背が伸びたか?」
「はい」

眩しいものでも見るように目を細めた龍虎に美織は笑顔で頷いた。

「健一が美織も元気に学校に通っていると聞いたが、本当らしいな」
「はい、色々ご心配をおかけしてすみません」
「いやいや、よかった」

龍虎は道場のほうをちらりと見てから美織に視線を戻した。

「伊織は元気か」
「はい、元気です」

学校で倒れたことや、湊に女だとばれたことが頭に浮かんだが、美織は頷いた。

伊織はそれを龍虎に知られることを望んではいないだろう。

「そうか」

龍虎はそう言って、慣れた様子で道場に入っていく。

中に入ると、伊織は木刀を持って、門下生と向き合っていた。お互い微動だにしない。

伊織が踏み込んだ。門下生が微かに身を引いた。

一瞬の出来事だった。伊織の木刀の先が門下生の道着をかすめた。門下生の動きは速かった。美織の目では捉えきれなかった。

気付いた時には、伊織の眉間の手間ぎりぎりで木刀が止まっていた。まさに寸止め。

門下生のほうが信じられないという動揺を隠せなかった。何が起きたのかわからない。伊織は一見冷静だった。

「僕の負けだな」
「……伊織」

低い声で龍虎が呼んだ。伊織が龍虎を見て目を見開く。龍虎様、口はそう動いたが、声は出なかった。