「美織ちゃん、キャッチボールしてみない?」
卒業式も終わって春休み間近のある日、紫乃がそんなことを言い出した。
「キャッチボール?」
「うん、ちょっと体を動かすにはいいかなと思って」
運動とは縁がなかった美織は戸惑う。体育も見学している。軽い運動なら問題ないし、体を動かすことも必要なのだろうが、今までしてこなかったから踏み出せない。
「いいんじゃないか。最近、調子も良いみたいだし、食事と睡眠と運動が健康の基本だろ。少しくらい運動した方が体も強くなるさ」
心臓の手術が終わった後は、医者から軽い運動なら構わないと言われている。本人がやりたがらない以上、強制する気はなかったが、紫乃が誘ってくれるなら良い機会だ。伊織としてはありがたかった。
「いいじゃん、俺も入れてよ。昴も呼ぼうぜ」
湊まで話に乗ってきて、断れる雰囲気ではない。美織は小さく頷いた。
***
「じゃ、とりあえず投げてみようか」
「わ、わかった」
ボールを持つのも初めてかもしれないという美織の動きはぎこちない。
「私の胸のあたりめがけて投げてみて」
先ほど見た紫乃と昴のキャッチボールを思い出して投げてみる。精一杯やったつもりだったが、ボールは紫乃まで届かずに落ちた。
「うん、教えがいがある」
紫乃は楽しそうに笑った。
「腕は肩の高さまで上げて、投げる時には肘が肩より下にならないように。で、腕を振るっていうよりは、こう、体を回す感じ」
美織は紫乃に合わせて体を動かしてみる。簡単にやっているように見えて、案外難しい。
「そう、そんな感じで投げてみよう」
言われたことを思い出しながら投げてみると、今度はギリギリ紫乃に届いた。紫乃は軽くボールを投げ返す。
「いいよ、もう1回」
さっきよりも力を込めて投げてみる。
「ナイスボール!そうそう」
紫乃が本当に楽しそうだから、美織も自然と笑顔になる。ボールを投げているだけなのに、楽しかった。
「伊織、野球やったことある?」
「いや、ないよ」
伊織は昴とキャッチボールをしていた。最初は明らかに手加減していた昴だが、伊織がそれなりにできることがわかると、普通に投げ始めた。
パシッと手のひらに伝わってくるボールの感じが伊織は嫌じゃなかった。
「へー、上手いな。湊より上手い」
「キャッチボールくらいはしたことあるんじゃないの?父親とかやりたがるじゃん」
「いや、うちは父も剣術をやっていてね……教わったのは剣術だけだ」
「徹底してるなー」
湊は少し離れて伊織と昴を見ている。わざわざ紫乃に入れてよと言った割にはやる気なさげだった。
「湊、なんで美織のこと、気にかけてくれるんだ?」
伊織はキャッチボールを続けながら問う。湊は虚をつかれたのか、返答に困って空を仰いだ。しかし、すぐに笑みを浮かべる。
「あー、やっぱり気付くか。伊織、鈍い奴じゃないもんな」
「僕としてはありがたいけど、理由がわからなくて」
転入当初から、湊は伊織と美織を、特に美織を気にしていた。学級委員だからとか、席が近いからというだけの理由ではないように感じていた。
女の子に優しくするのがポリシーだと言っていたこともあるが、やはりそれだけではないと思うのだ。
「小学校で同じクラスに体の弱い女の子がいたんだ。どんな病気だったのかは知らないけど、美織ちゃんと同じ、白くて細い子だった。
体育は見学だったし、よく保健室に行ってて、誰が言い出したのかわからないけど、サボりじゃないか仮病じゃないかって言われるようになって、いつの間にか不登校になって、いつの間にか転校してた」
湊は傷付いた目をしていた。彼がそんな顔をする必要はないだろうに、悲しそうにしていた。取り損ねたボールが地面に落ちた。伊織は何も言えずに湊を見つめる。
「美織ちゃんを見た時、そのことを思い出した。だから、気になった……こんな話、俺らしくないな」
湊はそう言って、紫乃と美織の方に行ってしまった。伊織は落ちていたボールを拾い、昴に向かって投げた。
向こうで湊が美織に話しかけている。どんな理由であっても、美織を気にしてくれるのは嬉しいし、結局のところ、湊は優しいのだろうと伊織は思う。
「湊は優しいな」
「……ああ」
湊だけじゃない、紫乃も昴も優しい。美浜中学に転入してきてよかった。
卒業式も終わって春休み間近のある日、紫乃がそんなことを言い出した。
「キャッチボール?」
「うん、ちょっと体を動かすにはいいかなと思って」
運動とは縁がなかった美織は戸惑う。体育も見学している。軽い運動なら問題ないし、体を動かすことも必要なのだろうが、今までしてこなかったから踏み出せない。
「いいんじゃないか。最近、調子も良いみたいだし、食事と睡眠と運動が健康の基本だろ。少しくらい運動した方が体も強くなるさ」
心臓の手術が終わった後は、医者から軽い運動なら構わないと言われている。本人がやりたがらない以上、強制する気はなかったが、紫乃が誘ってくれるなら良い機会だ。伊織としてはありがたかった。
「いいじゃん、俺も入れてよ。昴も呼ぼうぜ」
湊まで話に乗ってきて、断れる雰囲気ではない。美織は小さく頷いた。
***
「じゃ、とりあえず投げてみようか」
「わ、わかった」
ボールを持つのも初めてかもしれないという美織の動きはぎこちない。
「私の胸のあたりめがけて投げてみて」
先ほど見た紫乃と昴のキャッチボールを思い出して投げてみる。精一杯やったつもりだったが、ボールは紫乃まで届かずに落ちた。
「うん、教えがいがある」
紫乃は楽しそうに笑った。
「腕は肩の高さまで上げて、投げる時には肘が肩より下にならないように。で、腕を振るっていうよりは、こう、体を回す感じ」
美織は紫乃に合わせて体を動かしてみる。簡単にやっているように見えて、案外難しい。
「そう、そんな感じで投げてみよう」
言われたことを思い出しながら投げてみると、今度はギリギリ紫乃に届いた。紫乃は軽くボールを投げ返す。
「いいよ、もう1回」
さっきよりも力を込めて投げてみる。
「ナイスボール!そうそう」
紫乃が本当に楽しそうだから、美織も自然と笑顔になる。ボールを投げているだけなのに、楽しかった。
「伊織、野球やったことある?」
「いや、ないよ」
伊織は昴とキャッチボールをしていた。最初は明らかに手加減していた昴だが、伊織がそれなりにできることがわかると、普通に投げ始めた。
パシッと手のひらに伝わってくるボールの感じが伊織は嫌じゃなかった。
「へー、上手いな。湊より上手い」
「キャッチボールくらいはしたことあるんじゃないの?父親とかやりたがるじゃん」
「いや、うちは父も剣術をやっていてね……教わったのは剣術だけだ」
「徹底してるなー」
湊は少し離れて伊織と昴を見ている。わざわざ紫乃に入れてよと言った割にはやる気なさげだった。
「湊、なんで美織のこと、気にかけてくれるんだ?」
伊織はキャッチボールを続けながら問う。湊は虚をつかれたのか、返答に困って空を仰いだ。しかし、すぐに笑みを浮かべる。
「あー、やっぱり気付くか。伊織、鈍い奴じゃないもんな」
「僕としてはありがたいけど、理由がわからなくて」
転入当初から、湊は伊織と美織を、特に美織を気にしていた。学級委員だからとか、席が近いからというだけの理由ではないように感じていた。
女の子に優しくするのがポリシーだと言っていたこともあるが、やはりそれだけではないと思うのだ。
「小学校で同じクラスに体の弱い女の子がいたんだ。どんな病気だったのかは知らないけど、美織ちゃんと同じ、白くて細い子だった。
体育は見学だったし、よく保健室に行ってて、誰が言い出したのかわからないけど、サボりじゃないか仮病じゃないかって言われるようになって、いつの間にか不登校になって、いつの間にか転校してた」
湊は傷付いた目をしていた。彼がそんな顔をする必要はないだろうに、悲しそうにしていた。取り損ねたボールが地面に落ちた。伊織は何も言えずに湊を見つめる。
「美織ちゃんを見た時、そのことを思い出した。だから、気になった……こんな話、俺らしくないな」
湊はそう言って、紫乃と美織の方に行ってしまった。伊織は落ちていたボールを拾い、昴に向かって投げた。
向こうで湊が美織に話しかけている。どんな理由であっても、美織を気にしてくれるのは嬉しいし、結局のところ、湊は優しいのだろうと伊織は思う。
「湊は優しいな」
「……ああ」
湊だけじゃない、紫乃も昴も優しい。美浜中学に転入してきてよかった。

