少年に別れを告げる日

「ただいまー」

美織は玄関を静かに開けた。少し落ち込んでいた。学校では紫乃にも湊にも心配されてしまった。普通にしていようと思ったのに、顔に出ていたのだろう。

中に入ると、いい匂いがした。カレーの匂いだ。

「おかえり、美織」
「ただいま」

伊織が少し気まずそうに迎えてくれた。顔色は悪くないし、落ち着いているようで一安心だ。

「朝はごめん。取り乱して」
「ううん、私もちゃんと対応できなくてごめんね」
「ちゃんとしてくれたよ。叔母さん、呼んでくれたじゃないか」

もう触れない方がいいのだろうか。なかったことにして、いつも通り接した方が、伊織は楽なのかもしれない。

「カレーの匂いするね」
「作ったんだ」
「伊織が!?」

思わず大きな声が出る。普通ならカレールーを使えば簡単だが、伊織には難しい気がする。

「叔母さんと一緒に」
「ああ、そういうこと」
「失礼だな」
「レンジで卵を爆発させたのは伊織でしょ。食パンを黒焦げにしたのも」

どちらも事実なので伊織は黙り込む。カレーも悔しいから美織には言わないが、少し手伝ったくらいだ。伊織が作ったとは言えない。

「サラダ作ろうか。カレー久しぶりだから楽しみ」
「ああ」


レタスをちぎっていた伊織が不意に小さな声で話し始めた。

「わかってたんだ。でも、実際になったら、思いのほかショックだった。お前は女なんだって言われた気がした」
「……うん」
「だめだな、こんなことで動揺していたら」

美織は何も言わずに聞いていた。伊織の気持ちをわかってあげることができないのは知っていた。美織は女として過ごしている。わからないのにわかったようなふりをするのが、伊織に対して一番失礼なことのように思えた。

「でも、ひとつ収穫があった」

手を止めた伊織は嬉しそうに言って、美織に顔を近付けた。

「美織が成長してることがわかった」
「えっと、成長っていうと?」
「僕がいなくても、学校に行けただろ?前だったら、たぶん無理だった」

同い年なのに子供扱いされているようで嫌だったが、確かに以前の自分なら行けなかっただろうと思う。転入の際も不安だったため、伊織と同じクラスにしてもらえるよう頼んだくらいだ。

「料理のことでからかわれたから、仕返し」
「もう!」

伊織がこういうことをするのは珍しい。やっぱりどこかに不安な気持ちがあって、それを紛らわそうとしているのかもしれない。

「伊織」
「ん?」
「私も強くなるからね」
「うん、期待してる」