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2013年ーー
記憶を辿る、一番古い思い出。おそらくその時の私はまだ片手で数えられるほどの齢で隣には若い男の人がいる。男の人は色素を抜いた髪の毛を靡かせて私の手を引いてくれる。顔ははっきり思い出せ無い。でも笑うと目尻が下がるのだ。くしゃっと、顔を崩す笑い方をする。その人は伸ばした髪の毛を二つに結った幼い私と手をとり、海辺を歩いている。時折その男の人は私の頭をやさしく撫でる。耳には飾りがついていて、繋いだ手のひらはゴツゴツと硬い。その時の私はその人が誰だかわかっていなかった。でも今日初めて知った。私の記憶の中にいる金色の髪の色の男の人は、私の父だった。
「玲、おっきくなったな」
18歳になる春、私は父と会った。春の暖かさにすこしだけ汗ばむようになった。桜は散り、肌寒さと生温さがまじわうその季節の狭間に再会したその人は、記憶の中の人物と明らかに異なっているのに、微かに残る面影に頷くことは奇しくも出来てしまった。
あのキラキラした髪の毛は黒く染まってよく見るとところどころ白髪のようなものが混じっている。耳の飾りとあの頃思ったピアスは右に二つ、左に一つ、まだ空いていた。笑顔を作ると目が三日月の形になる。やわらかいアーチを描いて細くなるその表情があの景色を鮮明に蘇らせる。
土曜日、母はいない。築二桁を超えるアパートに訪ねてきた男は、自らを滝沢寿と名乗った。私は知らなかった。家族には父と母という存在がだれもに共通して存在することは知っていたけれど、なぜ私の家には母しかいないのか、そして父は誰なのか何処にいるのか、不思議にも思わなかった。母も何も言わなかったし、母一人子一人、親子での生活が当たり前のようで自分に疑念などましてや不安なども感じなかった。
私はよく、母に似ていると言われる。でもそれは間違いだ。母のような丸目ではない少し釣り上がった猫のような目の形をしている。父という滝沢寿はその目の形だけを切り取るなら私とよく似ている。そして瞳がブラウンがかっているところ、まつ毛が長いところ、なにより私も、笑うと異様に細くなる三日月の形の目のカーブ。
「那月は、仕事か?」
父なる人は私に問いかける。あまりにも優しい口調だ。小さい子どもに絵本の読み聞かせをしているような。でも彼がもし、本当に私の父親であれば、指折りの年齢で止まっているはずの私の記憶と、もうすぐ、18になる大人ぶる年の私とでは違うはずだ。扱い方も存在感もそして実感も、あの頃のままで止まっているのだろう。
滝沢寿は確かに私の実父であった。戸籍上においても、生物学上においても、父親であることは間違いないということだ。母は彼をしっかりと見ていることができないようだった。12年ぶりに顔を合わせたと言っていた。盗み聞きするつもりはなかったけれど、部屋に追い出されても二人の会話を扉越しに聴いていた。
聴くつもりもなかった。でも気になった。今まで抱かなかった疑問符がいっせいに脳内に忍び込んできたみたいだった。
私の父親?どうして離れて暮らしたの?母を捨てたの?私も捨てたの?何で苗字は今も一緒なの?。そんなハテナマークのついた言葉たちが木霊す。薄い扉に耳を押し当て、母と父の会話を聞く。母は悲しみと怒りを押し殺した少しだけヒステリックな声で私と同じく疑問文を父にぶつけている。
「もう会えないって言ってたじゃない」
最後の怒りを収めて、嬉しそうに泣き出した母の声を聞いた時、泣きそうになった。何も言わずに、母の言葉をただ相槌を打ちながら聞いている父と、そんな父の姿に泣いて縋り付く母を扉を少し開けて確認してから、私は自室に戻った。
もう何を問い質す気もなかった。
「玲ちゃんにはパパいないの?」
幼い頃に言われていた言葉の答えが分かっただけで満足だった。


