『ダメだ、ダメだ、ダメだ』
 彩花の心が真っ黒い世界に飲まれる。

『全然ダメ、勝てない、ダメだ』
 200メートル平泳ぎに若葉が出場して決勝まで進んだって、彩花は見ていない。
 頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

『橘さんに勝てない、ダメだ、勝てない』
 若葉が6位で入賞し、200メートル自由型で彩花自身が決勝に進んだって。
 彩花はどんどん自分を追い込んでいく。

(安西さんに伝えたいことがあるのに)
 大丈夫だよ、僕は応援しているから。
 駆琉は彩花の心の声が聞こえる度、彩花を探した。
 けれど男女混合リレー以外に出場する予定のない駆琉は着替えを終えれば早々に観客席に行くしかなく、彩花は彩花で地元の新聞の取材や競技者控え室にいて話すことも会うことも出来ない。
 メールを送ったり電話をしても、彩花がそれを読んでいる気配はなかった。

(緊張はしてないんだ、追い詰められてるだけで)
 普段ならば、彩花は学校のプールで泳ぐだけでも呪文を唱える。
 それなのに200メートル自由型の予選でも、彩花は呪文を唱えていなかった。
 ただただ橘の影を追い、「あの大会」での自分の影を追いかけ、今の自分は全然ダメだと追い詰めていくばかり。

(きっと男女混合リレーで橘さんに負けたから、余計に)
 「勝ちたかった」と、リレーが終わってから彩花はポツリと言っていた。
 自分がアンカーだったのに、橘を抜くことが出来なかったから負けた、と彩花はメンバーに謝った。
 勇介は「俺が3位だったせいだし」と笑い、若葉も「私なんてスイミング同好会の会長やのに抜かせんかったし」と笑いのけたが、彩花はそれで納得していなかったのだ。作り笑いは浮かべていたけれど。

(あんなの、僕が悪いのに。僕が4位にならなければ彩花さんは勝ててたかもしれないのに)
 彩花が気にすることじゃない、けれど間違いなく男女混合リレーが引き金で。
 彩花は自分を追い詰めていく。
 観客席で隣になった希子が「彩花は全然楽しそうじゃない」と呟いた。

(彩花さんに声が聞こえたらいいのに)
 自分の心の声が。
 そんなことは無理だから。
 だから伝えなくては、伝わらない。

『ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメ』
 彩花の声が聞こえる。
 駆琉は立ち上がり、観客席の一番前まで駆け降りた。
 200メートル自由型の決勝。
 選手が入場してくる、このタイミングしかないーーー……!