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(とりあえず約束の金曜日まで、僕ができることは放課後にあのプールに通って練習することだ! 明日から頑張るぞ!)
と、寝る前にベッドで『明日から泳げるクロール』やら『絶望的に泳げない人のための泳ぎ方』やらの本を読み、水泳の動画を見ながら駆琉はそう決意したというのにーーー……
「僕は今、学校のプールにいる……」
あれだけキッパリと断られたはずなのに、どうしてこうなったのか。
「なんや文句でもあんのか」
ポツリと駆琉が呟いた瞬間。
駆琉の隣で準備体操をしていたスイミング同好会の会長、野々宮 若葉がすばやく噛みついた。
「アンタなぁ、このやさしーーやさしーースイミング同好会の若葉ちゃん会長がプール貸したる言うてんで? もっと感謝して!」
「あ、ありがとうございます!」
「もっともっと! 感謝の気持ちが足りん!」
プールサイドで仁王立ちし、若葉は感謝を要求する。
その足元で、わざとらしくハハーとか言いながら頭を垂れながら、駆琉は朝のことを思い出していた。
■
「やぁやぁ少年!」
朝。
昨日の約束通り、彩花の自転車でやって来た駆琉を教室の前で呼び止めたのは若葉だった。
「あ、あれ? 野々宮先輩、僕に何か……」
「自分! 昨日、第一市民プールおらんかった?」
「え? はい。いました……けど、何で……」
「安西 彩花にクロール教えてもろたん!?」
彩花からクロールを教えてもらった、なんて。
駆琉は誰にもいっていないと言うのに、何故スイミング同好会の会長が知っているのか。
しかも市民プールに行ったことも、誰にもいっていないと言うのに。
様々な疑問が駆琉の頭の中を瞬時に過ったが、駆琉ができることはただ1つ。
「はい、そ、うです」
と、肯定することだけだった。
「ああ!」
短い声をあげ、若葉が目の前で頭を抱える。
関西人だからか、元々の性格か、それともその両方か。
グラマラスでショートカットのスイミング同好会の会長様は、大げさなリアクションをとった。
「ありえへん!」
「い、いや、で、でも。確かに僕は初心者ですけど安西さんがクロールを教えてくれたのは事実で……」
「あの! 安西! 彩花が! 近所の市民プールで! 泳いでたなんて!」
え、そっち?
安西 彩花からのクロールの教えを、昨日の時点ではまだ水に潜ることもできなかったような、水泳初心者が受けたなんて。
それに対して若葉が衝撃を受けているのかと思えば、まさかの「彩花が近所のプールで泳いでいた」と言うことに衝撃を受けていたとは。
「……もしかして野々宮先輩って、安西さんのファンなんですか?」
だから彩花を絶対にスイミング同好会に入れようとしているのか。
「オーマイガー」とでも言いたげに頭を抱え、天を仰いでいた若葉が左手の平を駆琉の顔の前に突き出す。
「ちゃうがな! それはほんのちょっとだけや!」
(あ、でも少しはそうなんだ)
彩花はあの容姿だし、ご当地アイドルのように持て囃されていた時期があったのは確かで。
そういった背景もあり、多方面からのプレッシャーに押し潰されて水泳をやめてしまった。
(つまり先輩は、安西さんをアイドルとして入会させたいのかな……)
彩花をスイミング同好会に入会させたい理由を、若葉は言わなかった。
それでも強い意思で彩花を入会させたいと言っていたし、駆琉は彩花にスイミング同好会に入ってもらう約束を取り付けたけれどーーー……。
(もし安西さんをアイドルとして入会させたいって言うなら、ダメだ)
駆琉が願うことはただ1つ。
彩花にもう一度、泳いでもらうこと。
何も恐れるもののない、穏やかで優しい真っ白な世界で泳ぐ彩花の心の声を聞きたい。
(ご当地アイドルじゃなくて、スイマーとしての安西さんを見たいんだ)
自分が50メートルを泳げるようになればスイミング同好会に入ってもらう、と約束してしまったけれど取り消した方がいいかもしれない。
彩花が自分の近所の市民プールに現れた、という事実がウソではなかったことに頭を抱える若葉を見つつ、駆琉はそう思った。
「あの、野々宮先輩!」
ここはしっかりと聞かなくては。
どういうつもりで、若葉は彩花を入会させたいのか。
そして言わなければ。
自分がどういうつもりで、彩花に入会してもらいたいのか。
駆琉が口を開いた瞬間、若葉が駆琉の両肩を掴んだ。がっしりと。凄まじい力で。
「自分、今日からうちのプール使ってええから」
「え……?」
「めっちゃ使い。毎日使いや。あと私が教えたるからクロール」
「あの……」
「絶対にうちのプール使って! 返事は!?」
「はい!!」
ゴキリ、と不穏な音を鳴らす肩を救うため、駆琉は威勢よく返事をするしかなかった。(で、放課後に野々宮さんが迎えに来てプールに連れていかれて今、ってわけだけど……)
朝からの激動を思い出し、駆琉は少し眉を寄せる。
若葉のことがあったものだから、彩花に自転車を駐輪場に置いたことを告げたときも後ろめたかった。
(まだ決まったわけじゃないけど、野々宮先輩が安西さんを客寄せパンダとして使うつもりだったらどうしよう)
そう言えば去年までスイミング同好会は「水泳部」で、部員数が少なくなったから格下げされたらしい。
そのことを思い出し、駆琉はますます青ざめる。
(水泳部に返り咲きたいから、安西さんを入会させるつもりなのかも……)
中学1年で市の大会で、中学新記録に近いタイムを出して一躍ご当地アイドル的存在にまでなった安西 彩花。
その彩花がスイミング同好会に入った、となれば話題性は抜群。
疑い出すと全てがつじつまが合うような気がしてしまって駆琉は思い悩む。
「安西さんとの約束を変更するとかできるかな……いや、そもそも僕が金曜日までに50メートル泳げるようになるのか……今日は火曜日なのに50メートルどころか……」
「何をぶつぶつ言うとるん?」
いつの間にか口に出していたらしい。
若葉が眉を寄せ、駆琉を見ていた。
(とりあえず約束の金曜日まで、僕ができることは放課後にあのプールに通って練習することだ! 明日から頑張るぞ!)
と、寝る前にベッドで『明日から泳げるクロール』やら『絶望的に泳げない人のための泳ぎ方』やらの本を読み、水泳の動画を見ながら駆琉はそう決意したというのにーーー……
「僕は今、学校のプールにいる……」
あれだけキッパリと断られたはずなのに、どうしてこうなったのか。
「なんや文句でもあんのか」
ポツリと駆琉が呟いた瞬間。
駆琉の隣で準備体操をしていたスイミング同好会の会長、野々宮 若葉がすばやく噛みついた。
「アンタなぁ、このやさしーーやさしーースイミング同好会の若葉ちゃん会長がプール貸したる言うてんで? もっと感謝して!」
「あ、ありがとうございます!」
「もっともっと! 感謝の気持ちが足りん!」
プールサイドで仁王立ちし、若葉は感謝を要求する。
その足元で、わざとらしくハハーとか言いながら頭を垂れながら、駆琉は朝のことを思い出していた。
■
「やぁやぁ少年!」
朝。
昨日の約束通り、彩花の自転車でやって来た駆琉を教室の前で呼び止めたのは若葉だった。
「あ、あれ? 野々宮先輩、僕に何か……」
「自分! 昨日、第一市民プールおらんかった?」
「え? はい。いました……けど、何で……」
「安西 彩花にクロール教えてもろたん!?」
彩花からクロールを教えてもらった、なんて。
駆琉は誰にもいっていないと言うのに、何故スイミング同好会の会長が知っているのか。
しかも市民プールに行ったことも、誰にもいっていないと言うのに。
様々な疑問が駆琉の頭の中を瞬時に過ったが、駆琉ができることはただ1つ。
「はい、そ、うです」
と、肯定することだけだった。
「ああ!」
短い声をあげ、若葉が目の前で頭を抱える。
関西人だからか、元々の性格か、それともその両方か。
グラマラスでショートカットのスイミング同好会の会長様は、大げさなリアクションをとった。
「ありえへん!」
「い、いや、で、でも。確かに僕は初心者ですけど安西さんがクロールを教えてくれたのは事実で……」
「あの! 安西! 彩花が! 近所の市民プールで! 泳いでたなんて!」
え、そっち?
安西 彩花からのクロールの教えを、昨日の時点ではまだ水に潜ることもできなかったような、水泳初心者が受けたなんて。
それに対して若葉が衝撃を受けているのかと思えば、まさかの「彩花が近所のプールで泳いでいた」と言うことに衝撃を受けていたとは。
「……もしかして野々宮先輩って、安西さんのファンなんですか?」
だから彩花を絶対にスイミング同好会に入れようとしているのか。
「オーマイガー」とでも言いたげに頭を抱え、天を仰いでいた若葉が左手の平を駆琉の顔の前に突き出す。
「ちゃうがな! それはほんのちょっとだけや!」
(あ、でも少しはそうなんだ)
彩花はあの容姿だし、ご当地アイドルのように持て囃されていた時期があったのは確かで。
そういった背景もあり、多方面からのプレッシャーに押し潰されて水泳をやめてしまった。
(つまり先輩は、安西さんをアイドルとして入会させたいのかな……)
彩花をスイミング同好会に入会させたい理由を、若葉は言わなかった。
それでも強い意思で彩花を入会させたいと言っていたし、駆琉は彩花にスイミング同好会に入ってもらう約束を取り付けたけれどーーー……。
(もし安西さんをアイドルとして入会させたいって言うなら、ダメだ)
駆琉が願うことはただ1つ。
彩花にもう一度、泳いでもらうこと。
何も恐れるもののない、穏やかで優しい真っ白な世界で泳ぐ彩花の心の声を聞きたい。
(ご当地アイドルじゃなくて、スイマーとしての安西さんを見たいんだ)
自分が50メートルを泳げるようになればスイミング同好会に入ってもらう、と約束してしまったけれど取り消した方がいいかもしれない。
彩花が自分の近所の市民プールに現れた、という事実がウソではなかったことに頭を抱える若葉を見つつ、駆琉はそう思った。
「あの、野々宮先輩!」
ここはしっかりと聞かなくては。
どういうつもりで、若葉は彩花を入会させたいのか。
そして言わなければ。
自分がどういうつもりで、彩花に入会してもらいたいのか。
駆琉が口を開いた瞬間、若葉が駆琉の両肩を掴んだ。がっしりと。凄まじい力で。
「自分、今日からうちのプール使ってええから」
「え……?」
「めっちゃ使い。毎日使いや。あと私が教えたるからクロール」
「あの……」
「絶対にうちのプール使って! 返事は!?」
「はい!!」
ゴキリ、と不穏な音を鳴らす肩を救うため、駆琉は威勢よく返事をするしかなかった。(で、放課後に野々宮さんが迎えに来てプールに連れていかれて今、ってわけだけど……)
朝からの激動を思い出し、駆琉は少し眉を寄せる。
若葉のことがあったものだから、彩花に自転車を駐輪場に置いたことを告げたときも後ろめたかった。
(まだ決まったわけじゃないけど、野々宮先輩が安西さんを客寄せパンダとして使うつもりだったらどうしよう)
そう言えば去年までスイミング同好会は「水泳部」で、部員数が少なくなったから格下げされたらしい。
そのことを思い出し、駆琉はますます青ざめる。
(水泳部に返り咲きたいから、安西さんを入会させるつもりなのかも……)
中学1年で市の大会で、中学新記録に近いタイムを出して一躍ご当地アイドル的存在にまでなった安西 彩花。
その彩花がスイミング同好会に入った、となれば話題性は抜群。
疑い出すと全てがつじつまが合うような気がしてしまって駆琉は思い悩む。
「安西さんとの約束を変更するとかできるかな……いや、そもそも僕が金曜日までに50メートル泳げるようになるのか……今日は火曜日なのに50メートルどころか……」
「何をぶつぶつ言うとるん?」
いつの間にか口に出していたらしい。
若葉が眉を寄せ、駆琉を見ていた。

