「千代さん…。昔のことは、もういいでしょう。それに『坊っちゃま』は止めて下さいといつも言っている筈です。コイツはただの…友人からの預かりモノですよ」

そう答える朝霧は、どこか面倒くさそうにしながらも、いつもの無表情ではなく幾分か柔らかい表情をしていた。

実琴は思わぬものを見てしまった感じがして、瞳を大きくしながら、その表情を見上げていた。


(『友人からの預かりもの』って…。もしかして、『私』の猫だと思ってたりするのかな?それとも、ただのタテマエ?)

若干、照れ隠しの言い訳のように聞こえなくもない。

(でも、朝霧が『照れ』とか…。ありえないか…)


『千代』と呼ばれたその女性は、そんな朝霧の様子にただただ優しい微笑みを浮かべると大きく頷いた。

「そうでございましたか。お友達からの大切なお預かりものでしたら、尚更大切にお世話してさしあげませんとね。可哀想に雨に濡れて縮こまってるじゃありませんか。今すぐ桶にお湯をご用意いたしますね」

そう言うや否や、パタパタと奥へと消えていった。

玄関ホールに残された朝霧は、それを無言で見送って。

そうして、また一つ小さく溜息をついた。

「…しょうがないな、千代さんは…。いつまでも子ども扱いが抜けないんだから…」


その呟きは呆れたような物言いだったけれど、朝霧の表情はどこか優しいものだった。