部屋は203号室。角部屋では無いけれど本当にこのお家賃なら十分だ。
 共用灯が点いて薄明るい外階段を昇り玄関前に。バッグから鍵を取り出して鍵穴に差し込もうとした時。

「・・・・・・お帰りなさい、オリエさん」

 後ろから知らない声がして恐怖で一瞬、心臓が凍り付いた。おののいて反射的に振り返り、その男を凝視する。

 紅い薔薇の花束を腕に抱え、グレーぽいコートを着た痩せ型の中年男性。牧野君が忘年会で言ってた客だとすぐに理解した。頭では。でも何故ここに居るのか、わたしは硬直したまま動くことも声を上げることすら出来ない。

「もうすぐクリスマスですよね・・・。僕・・・と良かったら・・・お付き合いしてもらえませんか・・・?」
 
 はにかんだようにおずおずと花束を差し出す男性。
 
「ご・・・めんな、・・・さ。いまは、だれ、も・・・」

 下手に刺激したら殺される。頭にはそれしか無かった。

「知ってます・・・。彼氏・・・いないですよね・・・? だから僕がオリエさんを幸せにしますから・・・」

 優しげな笑みを浮かべ一歩、わたしに近付こうとする。

 狂ってる。このひと狂ってる・・・!!
 今まで感じた事がない恐怖が膨れ上がり、全身から力が抜けていきそうになる。ガクガクと躰が芯から震え、口から漏れ出るのは意味を成さない引き攣れた声の欠片。

「オリエさん・・・」

 恍惚とした表情でコートのポケットからもう片手で取り出したのは指輪。

「結婚・・・してください」

 その瞬間。わたしの中で何かの糸がぷっつりと切れた。

「いっ、やあぁっ・・・っ、だれ、か・・・っっ!!」

 頭を抱え込むように崩れ落ち、ちゃんとそう叫べていたのかも記憶には無い。
 ただ階段をダン、ダンと駆け上ってくる足音と、低い怒号。揉み合うような激しい気配を遠くで。遠くで聴いて何が何だか分からなくなって。




 気が付いたら毛布にくるまり、婦警さんが体をさすってくれていた。

「大丈夫ですよ、もう大丈夫」

 煌々とした蛍光灯に照らされた会議室のような部屋。・・・警察だった。