「・・・牧野君、3月いっぱいでお店辞めるみたいです」

 数日後、マンションに帰った渉さんにさり気なく、それを伝えた。
 必要があるのか迷った末、牧野君とのいきさつを知っているのだし、結果として報告しておこうと思ったのだ。

 三人掛けソファで煙草をくゆらせながら、テーブルに置かれたタブレットに手を伸ばしていた渉さんは、「そうか」とだけ気のない返事を返して目も上げなかった。
 ややあってから。向かいの一人掛けに座って、見飽きることがない彼の仕草をじっと鑑賞しているわたしに、不意に視線が向いた。・・・・・・見透かされたようで。惑った。
 
「織江の責任か?」
 
 冷ややかに。
 
「そう思うなら、牧野に応えてやればいい」

 応えられないならすべてが無意味だと、渉さんの眼差しには込められていた。
 
 負い目すら。自己満足でしかない。
 牧野君の心を掬えるものは。時間、あるいはこの先出会える未知の人や経験。いつかは遠い過去になる。

 わたしは祈るだけ。

 胸の内で大きく吐息を逃す。
 そうね。
 もう牧野君に気を咎めたりしない。
 罪悪感さえ感じないくらい、もっと盲目になるわ。これからは。

 目の前の渉さんを見つめる。
 このひとは闇に生きるひと。罪と血を背負って生きるひと。
 わたしには・・・厳しくて正しくて、優しくて甘い・・・誠のあるひと。
 わたしが愛せると思った唯一のひと。

 視線を受け止めて、渉さんは目を細める。どうした、とでも言いたげに。

「・・・・・・渉さんに出逢えて良かったです」

 小さく微笑んで唐突に言ったのを。
 黙ってタブレットを閉じ、「来い」と命令する。
 隣りに座って躰を寄せると、布張りのスプリングの上にやんわり押し倒された。

「煽ったのはお前だぞ。覚悟しろよ」

 彼の口許に滲んだ不敵な笑み。
 ああ。
 この瞬間が一番、高揚する。
 もっと否応なしに刻んで。お願い。
 声、熱、貴方が与えてくれるもの全部。
 
 もっと奪って。わたしが与えられるもの全部。力尽くで。