「ったくユリの奴・・・」

 急に静寂が訪れたリビングで渉さんはネクタイを緩めると、ソファの背もたれに身体を預け、煙草を咥えて火を点ける。
 顔を横に背けては、白く濁った吐息をゆっくりと逃した。

「・・・・・・あいつが言ったとおり、晶の事はお前は何も心配するな。いつからでも店に戻ればいい」

「はい。有りがとうございます、渉さん」

 嬉しくてつい顔がほころんでしまう。すると彼に、困ったような苦そうな表情が浮かぶ。

「織江が礼を云うことじゃないだろう」

「? そうですか?」

「お前を巻き込んだのは俺だ。・・・謝罪と礼は俺が云うべきだろうが」

 言いながら渉さんは、黒曜石で出来ているらしい灰皿で煙草を揉み消し、隣りに座っているわたしをぐっと胸元に引き寄せた。
 済まなかった、・・・と深い声が頭の上に響く。

「お前をここに閉じ込めて、護ってやるぐらいの事しか出来なかった。・・・赦せ」

 わたしは小さく頭(かぶり)を横に振った。

「・・・誰が悪いわけじゃありません。誰のせいでも無いんですから・・・」

 不運にも起きてしまった静羽さんの事故。
 渉さんが遠く離れて帰れなかったことも。
 行き場を持たない高津さんがぶつける哀しい憤りも。凡て。

「だからもう、わたしに高津さんのことで謝ったりしないで下さい。・・・お願いです」

「・・・・・・・・・」

 わたしを抱きすくめる腕に一層、力が籠もって。「済まん・・・」と呟きが洩れた。有り難う。の代わりだった。

 顔を上げて、わたしは渉さんの頬にそっと触れる。その指を貴方が優しく握って顔を寄せる。
啄ばむようなキスを繰り返し、次第に口いっぱいに繋がる。
 合わさっていた唇が離れ、首筋を辿る。服の下に滑り込んだ渉さんの指に熔かされ、翻弄されて熱い熱に浮かされる。わたしは何度も何度も、渉さんの名を呼んで。そのたびに渉さんの想いを刻まれるようで。
 
 今こうして貴方と。何の隔たりもなく愛し合える喜びを。
 セルドォルに、皆んなが居るあの場所に戻れる喜びを。

 わたしは何に感謝したらいいのでしょう。

 神様には見向きもされない運命(いのち)だと・・・諦めて棄ててしまわなくて良かった。貴方に出逢えなければ。結城織江はただ。死ぬ為だけに生きる泥人形でしか・・・無かったんですから。