「織江ちゃんにもう一つお願いがあるんだけど。って言うより、こっちのお願いが本命」

 由里子さんにそのまま真顔で見据えられ、何事だろうと固唾をのむ。

「セルドォルに戻って来てくれない?」

 お店に・・・?! 思わず目を見張って。申し出に胸が躍ったのを懸命に押し留める。

「あの・・・でも」

 戸惑って渉さんを見上げた。わたしはここに居た方がいい。余計な心配をかけて渉さんの負担になりたくはないから。

「とても嬉しいんですけど、わたしは」

 戻れません。そう返答しようとした矢先。

「お前がそうしたいなら、明日からでも店に戻ればいい」

 思ってもみなかった言葉が優しく降ってきて。驚いて渉さんをもう一度見上げる。

「・・・いいんですか?!」

「ああ」

 口許を淡く緩ませた彼が、冗談を云っているとも思えずに。けれど昨日の今日だ。一体どういう事なのかと混乱気味に訊ねた。

「え・・・でもあの、高津さんは・・・?」

「・・・晶は夕方、日本を発ったの。一年ぐらいはシンガポールを拠点に、東南アジアを任せることにしたって兄がね。あの子はもともと海外に出たくて留学してたんだし、違う水で泳いでみるのも悪くないわ、きっと」

 渉さんの代わりに疑問に答えてくれた由里子さんは、片目を瞑ってわざと悪戯っぽく続ける。

「まあ早い話、織江ちゃんを泣かされて怒った“虎徹”に、これ以上暴れ回られると二の組が困っちゃうからって話なんだけど?」

 刹那。渉さんが低くむせた。

「・・・煩いぞユリ」

「そう言えば“一ツ橋の虎徹”って・・・」

 つい口から出てしまって、上からものすごい冷気が漂って来る。

「織江、お前どうして知ってる・・・?」

「えーと・・・どうしてでしょう?」

「あっそーだ、あたしもう帰らないと! 織江ちゃん、明日・・・は多分無理そうだから、明後日からでもお店に来てねっ。みんなも待ってるから! 織江ちゃんが居てこそのセルドォルだもん。・・・あ、もうこんな時間っ、遅くまでゴメンね~っ。高雄、今すぐ車出してっ」

「・・・・・・何でオレ」

 一気にまくし立てた由里子さんは藤君を巻き込み、最後はひと夏の嵐を吹かせたように賑やかに去って行った。