洗面ルームでドライヤーの風を当て、髪を乾かしながら。渉さんの背中を流していた、ついさっきの事を反芻する。

 お風呂に一緒に入る時は必ずわたしが背中を流す、という暗黙のルールが出来ていて。
 最初の頃はあまり深く考えていなかったけれど、こうして無防備に背中を晒すのは、相手に命を預けて信頼しているからなのだと少しずつ、そんな事も分かるようになって来た。

 今日も黙って背中を向ける渉さんに。わたしはもう、セルドォルを辞めさせる理由や、・・・隠している何かを問い質そうとは思わなかった。
 お前を裏切ったら、俺を好きにしろ。言葉に換えたらそんな。貴方の静かな覚悟が伝わって来たから。

「・・・渉さん」

 胸が詰まるばかりで、本当は何を云っていいのかも分からなかった。
 貴方が意味も無く、横暴とも思えてしまいそうなこんな手段を選ぶ筈がない。そうせざるを得ない何かがあるのなら。

 打ち明けて欲しかった。それが本心です、わたしの。けれど貴方はどこまでも。わたしを背に庇って何も見せずに、刃を振るおうとするひとです。

 お湯で流した彼の艶やかな背にそっと両の掌を当てて、頬を寄せる。

 温かい。
 とても。 
 貴方は。
 
 この背には。見えていないものも沢山背負っているのでしょう。見えているものだけが、貴方の凡てじゃない。から。


「・・・・・・愛してます」

 彼の、一瞬、微かに息を呑んだ気配を感じ取った。
 惑いだったのか安堵だったのか・・・わたしには見えない。
 
「・・・分かっている」

 深い声。
 貴方は何を想っていたのか。・・・見せてはくれない。



 温風に揺らされる髪の湿り気が軽くなって、わたしは手櫛で髪を整えた。
 鏡に映る、元から色素が薄くて茶色い髪。細くて猫っ毛で。ウエーブにしているのは、由里子さんに勧められたからだった。

『織江ちゃん、ゆるフワなのが絶対似合うからっ』

 コンビニで見つけたとわざわざ、ヘアスタイル特集を組んだファッション雑誌まで買って来てくれて。
 わたしに家族が無いのを知っているからか、何かと心配してくれて優ししくて、本当にお姉さんがいるみたいだった。
 笑顔がいつも素敵で可愛いところもあって、由里子さんのお店で働けてすごく幸せだった。ずっと一緒に大好きな由里子さんの、大事なお店を守っていきたかった。変わらないと思ってた。

 もう・・・叶わない。
 果歩ちゃんや野乃ちゃんにも会えない。
 そう思った瞬間には、涙が零れ落ちていた。
 由里子さん、由里子さん。
 まだ何も恩返しも出来てないのに。こんな形で終わらせてしまって、本当にごめんなさい。・・・ごめんなさい、ごめんなさい。


 一気に溢れそうになるのを必死で堪える。わたしが泣いたらきっと渉さんが負い目に思う。大きく何度も深呼吸をした。