――本日の天気は午前中は曇りですが、午後には晴れ間が見られます。梅雨に入り連日雨が続いておりますが今日の午後は久しぶりに洗濯物が良く乾く天気になるでしょう――

 僕の頭の中ではそんな朝の天気予報がリフレインされる。
 登校しているいまの天気は、予報通り生憎の曇り空。垂れ込めた雲が敷き詰められ重たそうに身体を揺すっていた。登校している生徒で溢れかえった長い上り坂を歩いていると、まだそこまで暑くないのにもかかわらず、ワイシャツの裏がぺったりと汗で張り付くようだ。
 でも僕はそんな天気の中でも予報を先取りして晴れ渡った気分で歩いている。汗の気持ち悪さなんてなんのその、この満足感は四日前の僕と同じ。いや、それもよりもいいかもしれない。
 僕と黒木さんが友達になった後、僕はカツラを付けた黒木さんを拝むことが出来た。それはもう拝んで、拝んで拝み倒した。黒木さんはそんな僕を気持ち悪がっていたが、僕がしたい事を言葉にすると、おそらく気持ち悪さではなく、身の危険を感じるに違いない。
 彼女の素晴らしい姿を心ゆくまで楽みつつも、ちゃんと僕は節度を守り、彼女がミシンの操作を覚えるのを手伝っていた。決して彼女の髪に触れてはいない。
 まあ、昨日のとち狂った僕の行動は、負の遺産として永久に僕の中で教訓としよう。
 だからこれは怪我の功名。これから彼女のその姿を窓ガラス越しではなく直接拝めることできるのだ。無遠慮な視線が許されるのは本人の許可があるときのみ。故に僕はとある約束をしたのだ。
「伸也君」
 僕が傘と学校の鞄を持ち、スキップしそうな上機嫌で歩いていると、後ろから声をかけられて振り向いた。
 そこには少し息を切らせた友達、柳沢《やなぎさわ》達司《たつじ》が眼鏡を直しながら追いついてきた。彼は僕の友達の一人で、彼もまた変態道を貫く学校の猛者だ。ひ弱そうで中性的な顔立ちは、乱暴な同級生の格好の生け贄にされてしまいそうだが、彼を侮ってはいけない。彼はこんな軟弱な身体でも僕の友達からは『タンク』の異名で一目置かれていて、彼はその変態ぶりでピンチを切り抜ける。変態ぶりというか、彼の趣味で集めたコレクションで。
「達司。おはよう」
「うん、おはよう」
 僕が挨拶をすると彼は、年上のお姉さんからラブコールを貰いそうなほどの優し微笑みで笑う。
「昨日どうだった? 上手くいった?」
 彼は心配そうに僕を上目遣いで見上げてそう聞いていた。何故かは分からないが達司は何かを聞くときにいつも下から見上げるように見る。平均よりも身長が低いからかもしれないけど。
「まあ、秘密にしてくれるってさ」
「そっか、まあ仕方がないよね。でも信也君の変態が周りにバレなくてよかったよ」
 僕が曖昧に濁した話を自分に納得させるような顔で彼は頷いた。最初から彼は僕の計画が失敗に終わると確信していたに違いない。
 カツラを黒木さんに渡すことを僕の変態友達に打ち明けている。彼らも僕の勇壮ぶりに激励を持って送り出してくれた。
 僕達はのんびりと何時ものような変な会話をしながら学校へと向かっていく。
 これは困ったことかはなんとも言えないが、友達に言わせればどうやら僕は変態を惹きつける何かを持っているそうだ。こんな僕でも節度には五月蝿い。彼らが誤った道に足を踏み外しそうになるたび僕が彼らを止める。だから、友達の一人、アニオタの鮫島《さめじま》成幸《なりゆき》は、僕のことを『ジャッジメント』なんて痛いあだ名を付けて呼ぶのだ。彼は自分の事を『アーティスト』と呼び、他の友達にいろいろなアダ名をつけていく。軍事ヲタの『タンク』、盗撮好きの『バンデッド』、ロリコンの『ファーザー』、仏像マニアの露出狂『仁王』、隠れゲイの『ウルフ』。そして彼らを裁く者、西郷信也『ジャッジメント』。
 どうしてこんな片田舎にここまで濃ゆい変態が集まっているのかはわからない。しかし、そんな僕達は社会に隠れて自らの欲望をほそぼそと楽しんでいるのだ。決して、人様に迷惑はかけていない。それは断言できる。
 僕と達司が、戦車と黒髪ロングヘアーの話題を小声で楽しんでいるとあっという間に目的地の前まで来ていた。教室に入るともう既に黒木さんは席に座っており、周りには同性異性関係なく人が彼女を取り囲んでいる。僕が教室の扉に立ってそれを眺めていると、ちらっと黒木さんが視線を送ってきて僕はそれを見てみない振りをして席に座った。
 僕の席は一番後ろの窓側。
 僕が席に座っていると同志たちが近寄ってくる。その顔は昨日の事を話せと物語っているようだった。
 そんなふうに僕の一日が始まった。


 それは、昼休みに起きた。
 僕の学校には食堂もちゃんとあってそこの定食も美味しいが、僕には手製の弁当がある。同志たちは、四限目のチャイムが鳴り終わり先生が号令をかけると、一目散に食堂へ駆け込んでいく。僕はそれを見送り、彼らが戻ってくるまで、生徒の少ない教室で何気なく小説を読んでいたら、不意に誰かが横に立つ気配を感じた。
 そちらに振り向くと、そこには黒木さんが立っていた。
「西郷君、消しゴム落ちてたわよ」
 彼女は、教室でいつも見せる上品な微笑みを浮かべ、青と黒のストライプの消しゴムを渡してくる。
 でも僕の消しゴムはちゃんと筆箱の中にある。四限目の授業が終わった時にしまった記憶があった。
「それ、たぶん僕のじゃ―――」
「西郷君の隣に落ちてたから西郷君の物に間違いないわよ」
 声は柔らかいのに有無を言わせないような目で睨まれた。
「そ、そう? ありがとう」
 この教室での女王様ぷりに飲まれて僕は、慌てて受け取る。
 渡された消しゴムを掴んでみるとなんだか違和感を感じる。消しゴムケースと消しゴムの間に何かが挟まっているような出っ張りがあったのだ。手の中を覗くと、やはり四角い何かが挟まっているようだった。
 僕が目線を上げて黒木さんに聞こうとすると、彼女はもう自分の席へと歩いて行っていた。そして、黒木さん達の取り巻きにやたら睨まれる。僕と黒木さんが言葉を交わすだけでもご立腹のようだった。
 まあいい。僕は彼女と変態同盟を組んでいる秘密を共有した同志。
 彼らに何を言われて、何をされても僕はこの秘密を墓場まで持って行くつもりだ。
 視線を彼らから外し、消しゴムケースを抜き取ると一枚の紙片がはらりと落ちる。ピンク色の可愛らしい便箋の切れ端。
『明日の放課後、家にいってもいい? 携帯番号080-××××-××××』
 そこにはペン習字の先生みたいな文字でそう書かれていた。
 なるほど。これはなんだか恋じゃなくてもドキドキするな。先生や大人達から隠れて秘密基地に行くようなわくわく感。いつぶりだろう。
 僕はにやけそうになる顔を隠すため、窓の外に広がる晴れ上がった空を見上げた。
 この返事は決まっている。
 だけど、せっかくだから驚かせてやろう。
 僕はそんなことを想像しながら午後の授業を楽しく過ごした。