「どうしてよ! 貴方はコスプレしてほしいんじゃないの!? 付き合ったら幾らでも見せてあげるから!」
「嫌だよ! 僕を利用する気満々の彼女なんてお断りだ!」
「なんでよっ! いいじゃない付き合うぐらい! 放課後にちょっとミシン借りるぐらい減るもんじゃないでしょ! も、もしかして私の身体? 駄目よ、そういうのはちゃんと大人になってからお互いが好きになった時よ」
 喧々諤々《けんけんがくがく》と言い合っていたのだが、勝手に自分で身体の話題を出して、黒木さんはモジモジした。
 それなりの貞操観念はあるのだろうな。ちゃんとあるのにいきなり異性のクラスメートの家に押しかけるなんてよっぽど舞い上がっていたのかもしれない。確かに僕の目当ては身体だ。身体と言っても胸やお尻、足とかではない。
 もう失われてしまった黒髪ロングヘアーなのだ。
「コスプレや身体は関係ないよ」
 僕はちらりと黒木さんの黒髪ショートヘアーを見てため息を吐く。
「なにそれ? 変なの。じゃあお友達でどうかしら?」
 軽い口調で黒木さん。
 というか、この人が大体分かってきたぞ。
 黒木さんは猫かぶりだ。それもすっごい分厚い猫の顔。皆はそれに騙されて黒木さんをお嬢様ともてはやすが、僕の目の前にいる女の子は、僕の家に来たいから付き合うだなんて無茶苦茶をいうような人だ。百年の恋も冷め上がって、僕の初恋を返せといいたい。
 いや、恋なんかじゃないから別にいいけどさ。
 僕は完全にやる気を失ってふて腐れたように口を尖らせる。
「友達も・・・別に・・・」
「ちょっ! 西郷君。ならなんで私にウィッグをプレゼントしてくれたのよ? 貴方の行動は意味不明だわ」
 黒木さんは傘を持ちながらも腕を組んで僕を睨むように見ている。彼女もちょっと下唇が尖っていた。
 でもそう言われたらどう言えばいいのか混乱してしまう。僕がした行動は、彼女にとって意味不明だろう。いや、彼女だけじゃなく僕のフェティズムを理解してくれる人でもなかなか分かる人はいないと思う。片思いのクラスメートが髪を短くしただけで、高級カツラを買って突然プレゼントするような変態だ。こんな奴がウヨウヨしていたら世の中に性犯罪が蔓延ってしまう。
 僕が怪訝そうにこちらを見ている黒木さんにどう説明しようかと頭を捻っていると、玄関からガラガラと引き戸を開けて中から小さな女の子が飛び出してきた。
「やっぱりお兄ちゃんだ。声がするから出てきたけど・・・その人誰?」
 玄関から雨に濡れながら出てきたのは僕の妹だった。素晴らしい黒髪を伸ばし、まるで日本人形のように可愛い僕の妹、西郷香奈《かな》。
 香奈は僕の後ろにいる黒木さんと僕を見比べていた。
「あ、もしかして妹さん?」
「そうだよ」
「初めまして、西郷君の『彼女』の黒木香美奈と言います。よろしくね」
「え?!」
 香奈は、黒木さんの髪を見ながら驚いた顔をしていた。
 僕は妹に黒髪ロングヘアーの素晴らしさを薫陶にように聞かせている。その僕の彼女が黒髪ショートヘアーという事実に心底驚いたようだ。それは驚きを通り越して恐怖の顔だった。まるで世界が滅ぶ前触れを目撃したかのような。そういえば、寝る間際に何時も黒髪ロングヘヤー以外は非国民だと言い聞かせてたっけ。
 というか、いま黒木さん彼女って言ってなかったか?
 外堀から埋めるつもりか。あとで香奈の恐怖心を取り除いてあげないとな。
「も、もしかして私怖がられてる?」
 黒木さんは、若干震えだした香奈に、ショックを受けたようだった。傷ついた顔をしながらちょっと泣きそうになっていた。
 しかし、そんな黒木さんの傷心はどうでもいいことだった。
 香奈の髪が濡れている。
 あの素晴らしい黒髪ロングヘアーが濡れているのだ。ならば、兄として心ゆくまで拭いてやらねばならぬ。ええい、このようなコスプレ女なんぞ眼中にはない。と心の中で役者ぶってみるものの口から出たのは変態を隠した西郷伸也だった。
「とりあえず、中に入ろうか、黒木さん。香奈、早く中に入らないと風邪引くよ」
 僕はそう言うが早く、放心状態の香奈を連れて家へと帰った。
「あ、うん」
 まだショックを受けていた黒木さんは少ししょんぼりとしたまま僕達の家へと入った。
 西郷家は実に古風奥ゆかしい日本家屋だ。
 玄関は、人が踏みすぎてすり減った土間と窪みのある上がり(がまち)。土間の壁に濡れた傘を立て掛けて、靴を脱いでから上がり(がまち)を登って廊下に入る。黒木さんはコスプレ女という変態だが、深窓のお姫様気質を持ち合わせているので、礼を言ってから綺麗に磨かれたローファーをきちんと揃えて家へと入ってくる。本当に黒髪ロングヘアーでこんなことをされたら僕のハートは撃墜されているんだが・・・残念でならない。
 既に盗掘された後の宝物庫を見た気分で、僕は妹と一緒に彼女を家の居間へと連れて行く。
「お兄ちゃん。私、麦茶入れてくる」
「香奈、ちょっと待って」
 居間に入る前、香奈がそう言って台所へ行こうとしたのを止めて黒木さんに振り返る。
「黒木さん、居間はその横だから先に入ってて。妹が風邪引くと駄目だから」
「え? う、うん」
 いきなり客の放置発言をした僕に黒木さんは驚いていたが、僕の顔つきが真剣だったのか素直に頷いて居間へと入っていた。
 五分後。
 少々物足りないが何とか満足した後、香奈は麦茶を入れに台所へ、僕は黒木さんがいる居間へと入った。
 そこにはちょこんと畳の上に正座している黒木さんがいた。正座をしているが、落ち着きなくソワソワと僕とある一点をチラチラと見比べていた。別にトイレに行きたいわけじゃない。その先にあるものが気になって仕方ないのだ。
 僕はそれを知りながらゆっくりと襖からお客さん用の座布団を取り出して彼女に渡す。
「あ、ありがとう」
「もうすぐ香奈が冷たい麦茶を持ってくるよ」
「えっと、大丈夫」
 黒木さんは生返事だ。本当にクラスメートの黒木香美奈さんなのか疑わしくなってくる。彼女は貧乏揺すりもしないし、人の厚意を生返事で返したりはしない、視線を漂わせて人に何かをねだるような濡れた瞳は見せない。
 まるで餌を目の前に「待て」をされている子犬のよう。
 僕はその姿が少し面白くなってにやりと笑う。
「おあずけ」
「なっ!? どういう意味よ!」
「じゃ、見てきてもいいよ」
 僕がそう言った途端、ドタドタと凄い音を立てて黒木さんは西郷洋裁店へと突進した。