日本を発つとき、いつどうなってもいいように

遺書を書いた



『私は、胃癌です

正人さんを養子に迎え
FLOWERを継がせて下さい

私の死後も、私が病気だったこと
誰にも知らせないで下さい

お世話になりました

感謝しています

        園田 舞美』



遺書なんて、立派なものとは言えないかも


伝えたい感謝の言葉がたくさんあるけど
書けなかった

私は、叔母さん達を裏切るような
そんな、気持ちだったから





叔父さんが、日本に戻って
叔母さんと今後のことを話すと言って
帰ってしまった




「舞美… お願いだから…
諦めないでくれよ…
松波君、舞美のこと待ってくれるって!」



正人さんは、本当にいい人ね




私の将来は、ずっと決まってた




1度だけ、自分の思う通りにしたって
いいんじゃないかな



「舞美が手術受けないなら
養子にならない!!!」

「会社辞める!!」

「舞美のばぁーか!!」



3日ほどたったころから

正人さんは、駄々っ子になった




「私は、手術を受けません!」