「おい、無視するなよ。なんでダメなんだ、よぉ!」

 語尾が強調された上級生のいらついている声が耳に入るや、私の体もビクッとする。

 本能が働くように慌ててトイレの入り口に体をもたせ掛けて身を隠し、様子をこっそりと伺う。

 何を話しているのか具体的な事はわからないけど、上級生という立場を利用して従わせようとしているように見えた。

 因縁をつけられた近江君は口を堅く閉ざし、微動だにせずに面と向かって構えているが、それは挑戦的にも見えるから、余計に反感を買いそうに危うい。

 近江君逃げて!

 自分の事のようにハラハラしてしまう。

「俺には関係ないだろ。俺を利用しないでくれ」

 屈しない態度で近江君はきっぱりと上級生の命令を拒絶した。

 目つきも鋭く、上級生を睨んでいる。

 立ち向かう姿勢には称賛に値するが、無理難題を押し付けてる側の「チェッ」とイラついた舌打ちが、我慢の限界に聞こえる。

 これでは暴力を奮われるのも時間の問題かもしれない。

 一触即発の不安定なこの時、私もまた窮地に陥れられた。

 このまま見なかったことにして、さっさとこの場から去ってしまおうか。

 幸い近江君は私の事には気がついてない。

 それなら見ぬフリをしたと思われる事もないだろう。

 しかし体が思うように動かず、足だけがむずむずとしてしまう。

 ダメだ、無視することなんてできない。