まずは自力で食べられるかと思って、お皿にふやかしたドライフードを目の前に置いてみた。

 やはりまだ食欲は落ちたままだった。


 しかし、無理にでも食べさせたら、体には栄養は行き渡る。

 とにかく食べさせれば元気になるんじゃないかと、私は必死に餌を与えた。


「ブンちゃん頑張れ」

 そうしているうちに、またいつかのバイクの音が近づいてきた。

 ブンちゃんの耳は動き、目は出窓を見てるが、体が思うように動かないでいた。

 ブンジにとって、これは日課なのかもしれない。

 私がまだ寝てる時に、朝バイクの音が聞こえたら、出窓から様子を見に行くのをいつも続けていたのだろう。

 私はブンジを抱いて、出窓に運んでやった。

 ブンジがいつものように出窓に座った事で、私も勇気付けられた気分になった。


「ぶんちゃんは毎朝この作業で一日が始まるんだよね。明日も手伝うから頑張れ」

 私はまたブンジを抱き上げる。

 やっぱり喉をゴロゴロ鳴らしてくれた。

 ずっとブンジの側にいたかったけど、学校があるからどうしようもなかった。

 私が家を出る時、ブンジはソファーの上で横になっていた。

 それを見るといつもの光景に少しだけ安心した。

「ブンジ行って来るね」

 私の声に反応してブンジは頭を上げて、暫し見詰め合う。

 この時も目を瞑ったので、私も目を瞑った。

 ブンジの愛は健在だった。


 後の事は母に任せ、そして私は学校に向かった。

 この日一日中ブンジの事が気になって、落ち着かない。


 希莉との事も、近江君の事も暫し忘れ、一人机についてても気にならなかった。

 授業が終われば一目散に帰宅する。

 一本でも早い電車に乗れるように、早足で駅に向かい、電車に飛び乗る。

 そして家に戻ってきた時、ブンジは私が整えたブランケットのベッドの上で横たわっていた。


「ブンちゃんただいま」

 ブンジの目は開いているのに、瞳孔が開いたままで焦点があってなかった。


「ブンちゃん、ブンちゃん」

 私の呼び声にも反応せず、体を撫ぜても喉をゴロゴロさせない。


「お母さん、ブンちゃんの様子が変、獣医さんのところに連れていかなくっちゃ!」
 
 気が動転していた私に対し、母はとても冷静だった。


「ブンジはもう意識がないの」

「なんでしっかり見ててくれなかったのよ。朝はとても元気だったわ」


「猫はね、予測もなしに突然に崩れてしまうの。ほんの数時間前までは、自分でトイレ行ってたのよ。水も自分で飲んでたの。ブンジの意識がなくなったのはほんのさっきの出来事だったわ。お母さんも気がつかなかったの。床の上でうずくまって動けなかったから、ここに寝かせてやったの、そしたら見る見るうちに弱ってしまった。本当にあっと言う間だった」

「嘘、なんでなんで、こんなに急に」


 ブンジの瞳はどこを見てるか分からない、呼んでも私の顔も見てくれない。

 でもまだブンジは生きている。

 ブンジの体に耳を当てれば心臓の音が聞こえる。

 ブンジのお腹が上下に動いている。

 それなのにもうコミュニケーションがとれない。

「ブンちゃん、ブンちゃん」

 私が取り乱している側で、母は落ち着いていた。

 母ももちろん悲しかったに違いない。

 だけど、過去に実家で猫を何匹も飼っていた経験から、仕方のない事と割り切っていた。

 私はどうしても割り切れない。

 小さい頃から一緒にブンジと過ごしてきた。

 最初は餌を求めて家に現われる野良猫だったが、ブンジは自ら住む家を自分で決めて飼い主を選んだんだと私は幼心に思っていた。

 家に上がり込んできてからは我が物顔で遠慮もなく、買って来たばかりのトイレットペーパーを置いとけば、ブンジはそれを爪とぎにしてずたずたにしてくれた事もあった。

 姿が見えないと思った時は、勝手にキッチンの戸棚を空けて入り込んでいた事もあった。

 食卓ではテーブルの下にやってきておこぼれをねだったり、二階へやってきて、私の部屋の前で鳴いては、私を呼んでいた。

 そして毎朝やってくる新聞配達員に朝の挨拶もしていた。

 そんなブンジが居なくなってしまうなんて私には受けいれられない。

 すでに涙が溢れて泣いてしまった。


 そこに架が学校から戻ってきて、私の異変にすぐ気がついて、同じように目に涙を溜めだした。

「ブンジ、とうとう逝っちゃうんだ」

 架はまだ私より落ち着き、冷静になってすでに意識がないブンジを生きてる最後だとして抱きしめていた。

 自分の気が済むと、私にブンジを手渡した。

 もうどうする事もできない。

 ブンジは天国へ旅立ってしまう。

「ブンジ、ブンジ」