開けっ放しになったドアの外で、ブンジが構って欲しそうに覗いている。

 いつもなら、猫なで声を出して「ブンちゃん~」と呼んで抱っこするが、この時の私はそれどころじゃなかった。

 ブンジは相手にされないのを判断すると、静かに姿を消した。


 いつも何かある度にブンジを抱っこして話をしていたのに、それができないほど私は草壁先輩の告白に心を捉われ過ぎて、現実に帰ってこれない。


 まさか、サッカーボールが顔を直撃してから、私は意識不明の重体になり、今その生死の境目を彷徨って夢の世界に居るのではないだろうか。


 よくある現代ファンタジーの展開じゃないか。

 そして、トワイライトゾーンに入り込んでここから全てが上手くいきだして、信じられない事のオンパレード。

 落ちで実はいつまでも意識が戻らない、夢落ちパターン…… って一体私は何を考えてるんだ。

 それだったら不幸そのものだ。


 馬鹿げたことを考えている時、下から『すき焼き』のいい匂いがしてくる。

 好きと告白を受けた日にすき焼き。

 この日を『好きすき焼き記念日』と命名したくなった。


 食卓では電気鍋からぐつぐつと勢いよく湯気が立っていた。

 架はすでに箸を鍋に入れて、肉に手をだしていた。

 その隣でお父さんが相変わらず新聞を読んでいる。

 お母さんはテーブルの横に立って、鍋に具をいれていた。


「チーちゃん、早く座って食べなさい。ほら、架、欲張ってお肉ばっかり取らないで野菜も食べなさい。お父さんも、新聞は後回しにして早く食べて下さい」

 鍋奉行じゃないが、食卓の上で直接料理するのは気が高ぶって落ち着かないのだろう。

 みんなのために忙しく動き回って、すぐに食べられない母が気の毒だった。


「お母さん、私が具をいれるからゆっくり食べて」

「いいのよ、気にしないで早く食べなさい。ほら、お父さんも、いつまで新聞読んでるの。早く食べて下さい」

「時間がないんだから、好きなようにさせてくれ。ちゃんと食べるから」

 いつものようにご飯を食べる時間も惜しんで、新聞を読んでいる父。

 その新聞は、横文字でアルファベットが一杯並んでいる。

 そんなのを辞書なく読めるのは尊敬する。