近江君は少しだけ口許を上向きにしてから、そして手元にあった本を読み出した。

 近江君は特別に何も考えている様子ではなかったが、そのお蔭で私は自分を保てたような気がした。

 もう少しで自棄になりそうな、押さえ切れなかった不安定な波に巻き込まれて、希莉との仲たがいの不満を爆発させるように、希莉の目の前で自分の立場を自慢する行為をとりそうだった。

 一種の希莉に対する反抗、自尊心を保つために、草壁先輩と知り合ったことを盾にいい気になるというのか、どうしようもないまだまだ子供っぽい意地が顔を覗かす寸前だった。

 羽目を外すというのはいくつもの複雑な感情が混ざり合い、その時に引っ張り上げられたものに反応して自棄を起こして自分が見えなくなる。

 全ては雰囲気に流される事もトリガーになってしまう。

 その寸前で近江君に助けられたような気分だった。

 近江君はなぜか私の良心となってそこにいるような存在に見えてくる。

 近江君はその点、いつも自分を貫き通しているから、その一貫した姿勢で存在が急に大きく見え出した。

 質問をした相田さんは、中々話そうとしない私をなんとか柔軟にさせようと、しつこく聞いてきたが、私は草壁先輩と何があったかは何も言わなかった。

 ただ無難に、やっぱり見掛けだけじゃなく、性格もいいかっこいい人と言う事ははっきりと伝えた。

「やっぱりそうだよね。憧れるよね、草壁先輩には。神が創りたもうた芸術作品。ああ、なんて素敵なのかしら」

 夢見る目つきになった相田さんのしぐさは、どこか演劇じみて見える。

 スポットライトを浴びたようにわざとらしく振舞っている。

 大げさに感情を表す人ではあるが、その場を盛り上げる役目にもなり、周りはそれをからかって笑っていた。

 私もまたそれに流されるように周りに合わせて笑っていたが、ふと希莉を見ればつまらなさそうにしていた。

 希莉の性格上、こういうノリはどうも好きではないのが伺える。

 その時、希莉と目が合った。

 ドキッとして慌てた私とは対照的に、希莉は寂しげに私を捉えていた。

 何かをいいたそうに訴えかける目。

 なんだか泣きたくなるような哀しさを私に植え付ける。

 希莉……

 希莉もまた何かを抱え込んで言葉に表せず、悲しげに視線を逸らす。

 私はまだ希莉の意図することが分からない。

 そんな事を考える暇すら与えずに教室に先生が入ってきて、固まっていた私達の輪が蜘蛛の子散らすように、それぞれの席へと戻っていった。

 私も自分の席につく。

 今日という一日の始まりは、心配していたほど酷くなく、休み時間を一人で過ごさなければならない危機感は回避された気分だった。

 希莉がそんなに私の事を避けてないとわかっただけで、少しだけ落ち着いた。

 だけどここからどのように接していいのかはまだわからなかった。

 そしてこの日の午後から空模様が変わりだし雨が降り出してきた。

 ちょうどこの時じめじめ感も強まってきたように、私の心も同じようにジュクジュクとぬかるんでいるようだった。

 まだまだすっきりしないまま続いていく。