暗い。色の無い景色。岩山?遺跡か何かかな?どこだろう?黒呪島のような禍々しい感じはしない。何というか、ここにあるのは……"あるの"そのものが何も無い。虚無。何も感じない。
 と、頭では分析するんだけど、心身は共に不思議なほど落ち着いてしまっている。冷静に、混乱してしまう。怖いとかそんな感情は全くなかった。いや、それどころか、何かしなきゃって気も湧き上がってこない。姉さんを探すためにポーンになったんだけど。
 そう、ここがきっとユリカの言う異界の狭間。戦徒たちが暮らす場所。そして、この変な感覚はポーンになったから。ユリカの事細かなレクチャーが無かったら、困ってたね、確実に。
 ふと、闇の向こうから誰か来るのが分かった。けど、特に警戒する気も起きなかった。だんだん露になってきたのは、露出の高い皮鎧を身に付けた女性。見た目は姉さんより少し歳上かな。褐色の肌に、シャープな顔立ち、髪を後ろで一つに纏めている。まるで私が見えていないかのように、私の横を通り過ぎようとする。その横顔からは、姉さんやユリカみたいな温かさは微塵も感じることができなかった。まるで絵を見ているようだった。
 ──おおっと!何も波立たない自分の心に檄を入れる。ここへ来ての初邂逅だ。この機を逃しちゃいけない。
「あの!」
「……何か?……!?」
女戦徒は興味無さそうに一瞥したかと思うと、次の瞬間、細い目を大きく見開いた。
「……覚者様でしたか。私に何用でしょうか?」
「流石に分かるんだね。
実は、姉さんを……あるポーンを探しているんだけど、どう探せばいいか分からなくて。」
「……私は覚者ではない故、断言はしかねますが、内なる声に従って進まれるが良いかと存じます。
 我々戦徒はこの虚ろな世界を成す欠片。ここで何かを求めるなどということはなく、ただただ導かれるままに。」
「そっかぁ。それもそうだよね。
 そもそも『私なら探せる』って豪語したんだから、通りすがりのポーンさんに泣きつくのはダメ過ぎだね。」
「──!それは!」
私が勝手に独り合点していると、女戦徒は更に眼を丸く見開き、片膝を付いて、私の腰に提げられているモノを見つめた。
「あ、これ?リディルって名前だよ、確か。『神断ちの剣』とか言ってたかな。でもさ、これ、全ッ然、斬れないんだよね。何か知ってるの?」
女戦徒は膝を付いたまま、私を見上げた。その瞳は本当に真っ直ぐで、何処か切なくて、このまま吸い込まれてしまうのではないかと思った。
「その剣は、いつか覚者様がこの世の理と対峙なさる時に必要なもの。そして、それが貴女様の宿命。
 その時……その時にはせめて、ご自分の運命をお恨みにならず、ただ……世界の想いを汲んで、進んで頂けたらと。」
 言葉の意味はよく分からなかったけど、私はお礼の言葉を述べた。そして、できるだけの笑顔で別れを告げ、彼女の教えのとおり自分の感じるままに歩き出した。彼女はこちらをいつまでも見つめ、見送っていたな。それで何だか寂しくなっちゃって、だいぶ小さくなった彼女に届くように、大声で叫んだんだ。名前を教えてって。そしたら、彼女も大声で叫び返してくれたよ。可愛いとこあるね。
「私は、クインス。理を視た者、クインスと申します。」

 姉さんの顔、手、香り……いろいろ思い出しながら歩く。いろいろ考えながら歩く。
 『赤目』にサクヤ姉さんを奪われ、赤い竜に心臓を奪われ。でも、シルヴィア姉さんと出会い、たくさんの戦徒の仲間、友達と出会った。サロモと三度の死闘。そして、カイ。私は憎しみがあったから、死ななかった。温かさがあったから、生きてこれた。
 けど、『世界の理』って何だ?人の人生を好き勝手に振り回すのが、こんなことが『理』なのか?全くやりきれない。私は、このグランシスが大好きだ。なのに、私の感じてきたもの全てが作られたもので、そんなことを許すのが『世界の理』なんて……。
 暗く、色の無い景色は続いたけど、この先に姉さんがいるって思えた。歩みの向く先には異界への扉、リムストーンが淡い輝きを放っている。そう、ここだね。この先に姉さんがいるんだ。

 一瞬、目映い輝きに包まれたかと思うと、暖かな草原に私は立っていた。んー、なんか思ってたのと違うな。もっと殺伐とした、修羅の間?みたいな所に出るのかと思ってたよ。姉さん、意外とバカンスに来てたりして。
 そんな他愛もないことを考えながら、周りを見回してみる。草原には高い木は殆んど生えていない。遥か遠くに聳える荘厳な城塞、黄金色に輝く斜陽、絵になる風景だなぁ。夕日を浴びて燃えるような草原は、まるで空と繋がっているかのよう。そして、グラデーションも美しく海のように蒼い空と繋がり、小さな島々も空の大海原に浮かぶ。やがて、深海の如き濃紺の地平線へと続いていく。

 ……空に島々?
 我ながら上手く言ったなと自画自賛している場合じゃない!空に島が浮いている!?私、とんでもない所に来ちゃったぞ。ここはグランシスじゃないよね?我に返った私は、姉さんを探すという本来の目的を取り戻した。
 耳を澄ます。風の声以外に何か聞こえないか?
 ──聞こえた!あっちだ!周囲への警戒は怠らず、息が上がらないように気を付けながら急ぐ。
 いた!あそこだ!
 草木の焼け焦げた臭い。所々まだ炎が上がっている。その中に見上げるほど巨大な騎士。そいつがこれまた巨大な2本の剣を左右の手で恐ろしい速さで振り回しているんだ。その剣閃からは豪炎が迸る。炎が邪魔で空気も揺らめき、はっきりとは見えないけれど、足下には変な鷲獅子みたいなのが転がっている。
 ──姉さん!
 いつもの甲冑ではない軽装たけど、見慣れた背中がそこにあった。騎士の強烈な剣戟をギリギリのところでかわしている。思わず、両の拳を爪痕が残るくらい強く握り締めた。姉さんは最後の鋭い突きを大剣で上手く往なす。そして、返す刀でがら空きになった騎士の頭部を突き上げた!やった!倒れはしないけど、相手が大きく仰け反ったぞ。白銀の剣士は今度は深く沈み、得意技の一つ、大輪斬でよろめく足を薙ぎ払った。堪らず巨体は仰向けに倒れ込む。この機を逃す姉さんじゃない。あんな大剣を持ってよもやという跳躍。身体を無理矢理回転させ、急降下!その反動と剣の重みを利用して、倒れている騎士の頭部へ強力な追撃を見舞う!
 次の瞬間、騎士の頭部がくるくると宙へ舞い上がった。凄い。一瞬だった。息をするのを忘れるくらい緊張した。息苦しさに我に返った私はフッと強い息を吐き、しゃがみ込んで肩で息をしている姉さんに、いつものように「姉さーん」と呼び掛けた、つもりだった。けれど、私の声は姉さんにきっと最後まで届かなかった。首無し騎士が突然上体を持ち上げ、胸部辺りから熾烈な炎を吹き出したんだ。姉さんが真っ赤な炎に包まれた。まるでスローモーションを見ているようだった。そして、首無し騎士は再び地に倒れ込んだ。
 もう何が何だか分からなくて、夢中で駆け寄った。燃え盛る人影に恐怖も何もなかった。ただ、姉さんを助けなきゃって思い以外は。
「シルヴィア姉さんッ……もう……いなくならないでぇ!」
炎を厭わず、私は姉さんをギュッと抱き締めた。熱いとかそんなこと感じもしなかった。ただただ強く抱き締め続けた。