積み上がったコンテナの脇をふたつの影が走り抜けた。
両者は常に一定以上の距離を保ちながら、互いの攻撃――石や銃弾――を避けて開けた場所へと踊り出る。


「出迎えありがとう、ウィン。それとも“ウィンストー・クール”と呼んだ方がいいかな?」
「こんばんは、オルグ・ミルフュール。どちらでもお好きな方でどうぞ」


つい数時間前まで本社の有能な社員だった“少年”を見ても、彼は何ら驚いた様子を見せない。せいぜい自分の言ったことが当たっていたというそれだろう。
それはそうだ、とクールは思った。


性別・年齢ともに不詳にして、今裏の世界でもっとも名を馳せる暗殺者。
いつの間にか付けられてしまったこの肩書き。鬱陶しいと思いつつも訂正しなかったのは、単に面倒だったからだ。
そんなものが、数え切れない程の刺客を送られて尚生きているこの人に通用するはずがない。


「それにしても、よくここが解ったね。狙われているだろうことは解ってたから、それに対する策は周到に練ってきたはずなんだけど」


ボディガードは過去や人物関係を徹底的に洗い、常に信用できる部下と寝食を共にした。今夜の出航でさえ、ボディガードたちにしか話してはいなかった。
それなのに、彼(か)の者は置いてきたボディガード二人を一人で倒し、今彼の前に悠然と佇んでいる。


「君がここにいるってことは、俺がどんな裏の顔を持っているか、知ってるってことだよね」
「そういうことになるかな」


飽くまでも性別を明かそうとしない口調と声音でクールは答える。その瞳からはまるで細波一つたてない水面のように一切の感情が消えていた。
それでいて心を見透かされているような、不安で人を惹きつけてやまない銀色の瞳。
彼は淡い金髪を月の光で煌かせながらミルフュールにゆっくりと近付いて行った。男物の良さと女物の良さを合わせた衣服(ハシュカ)と黒のジャケットがその振動で翻る。


「一体、どこからどういう経路でそういう情報を手に入れてくるのかな。その才能を是非我が社で使ってもらいたかったんだげど」
「企業秘密なので謹んでお断りさせてもらいます」
「残念だね」


ミルフュールは肩を竦めて言う。


「じゃあ、始めようか」


言うなり彼は問答無用で発砲した。足を狙ってきた銃弾をコンテナの影に入ってやり過ごし、クールは例のボディガードから奪った拳銃を取り出す。そして一気に地面を蹴った。
欲しいのは間合い。近すぎず遠すぎない、その絶妙な距離。そしてそのために邪魔なものは――。
髪の毛先が何本か持っていかれる。だがその前後に相手に出来た隙を彼は見逃さなかった。
バシンッッという音がして、ミルフュールの拳銃が弾き飛ばされる。
クールは右手を空に掲げた。淡い光が発生し、何かがクールの手のひらに落下する。
落ちてきたレイピアを握り締め、彼は一気に間合いを詰めた。ミルフュールの一点に刃を突きつける。


「どこから情報がもれたのか、特別に教えてあげようか」


一拍置いてクールは驚愕の名を出す。


「メリッサだよ」
「……何だって?」


確かに彼にはその名に覚えがあった。彼の会社は表向きは大規模な薬品の製造会社だったが、裏では麻薬の密売も行っており、その効果を自らの会社で働く一部の少年少女たちで試していた。
それがメリッサを逃がしたことでウィンストー・クールに伝わり、命を狙われることになった、という訳か。


しかし何かが引っかかる。ミルフュールが考える限り、彼がここに来たのはメリッサに依頼されたからというそれだけではなさそうだ。
ふと彼の中で一つの答えが導き出された。


「ウィン、お前“シャリンティ”だろう」


クールは応えない。それが何より雄弁な答え。


「なるほどね」


にこにこと嬉しそうなミルフュールは怪訝そうなクールに向かって、


「ひとつ、良い事を教えよう――――――――」


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数十秒後――――
最後の一歩を踏み出したクールは海鳴りとともに<雲裁(オルエー)>へと強制送還された魂の抜け殻を悲哀の表情で見下ろした。その顔はとても安らかで、まるで眠っているように見える。
静まり返った港にもうひとつの影があったことに、クールが気付くことは無かった。



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翌日。ミルフュール社長の突然死を、各新聞社は大々的に取り上げた。
曰く。


「『彼は麻薬の密売がバレるのを恐れるあまり不眠症になり、睡眠薬を大量に服用していた。今回の事件は薬の副作用による幻覚症状によるものとの見方が強まっている。現場検証は引き続き行われており……………』?なんだこりゃ」


はぁ―――っと盛大な溜息を吐き出した少年は、現場検証など無意味だということを知っていた。
それ以前にこの見方自体が大きな誤りだ。どこをどう考えても生前の彼の行動からそんなことは思い浮かばない。帝都ヒアンリーセスの低俗新聞記者たちの職業能力に呆れたくなる。


「依頼を遂行した彼(か)の者は証拠となるようなものを一切残さない。それ故に彼(か)の者が起こしたか否かの判断は容易い、か――」


少年はまるで呪文のように裏の世界での常識を口にする。


「ほんっと、何で俺なんだよ」


そう呟く少年の名はシレオ・ステルイア。
“冬寒空(ウィンストー・クール)”と恐怖と揶揄でもって称される者の暗殺依頼。それが数日前、彼が引き受けざるを得なかった、厄介この上ない『仕事』だった。






前編<対面前夜> 始