僕は今の進路選択をする時、物凄く悩んだ。人生のうちで一番悩んだ時期だったかもしれない。当時の僕は、クラシック音楽をやっていた。吹奏楽部では、トロンボーンを吹いていて、将来はトロンボーン奏者になりたかった。



 大学では本格的に音楽を勉強したかった。そのためには、音大に入るのが普通だと思っていた。しかし、音大の学費は馬鹿にならない。両親からは猛反対を受けた。



 結局、音大は諦め、代わりに僕の好きなトロンボーン奏者の出身大学を受けることにした。僕は勉強はしてこなかったし、学校の先生からは「大学なんて無理だ。」とアヤカとは違う形で太鼓判を押されたほどだった。それでも、必死になって勉強した。休み時間のすべては勉強に費やし、家に帰ってからも憑りつかれたように机に向かった。一日の睡眠時間は二時間眠れればいいほうで、ブラックコーヒーを無理矢理流し込んで、徹夜することも少なくなかった。



 しかし、神様は非情で、受験は失敗に終わった。一生懸命努力をすれば、なんでもできると思っていたが、僕の場合は少し遅かったらしい。もっと早くから必死になって勉強をすればよかったと後悔した。掲示板の前で、人目もくれず涙を流した。嗚咽するほど思いっきり泣いて、それから泣き止んだ後に、僕の奥底に眠っていた怒りを呼び覚ました。



「親が音大を受けさせてさえくれたら、よかったのに。」



 反抗期なんてとっくに終わっていたと思っていたが、合格発表から数日はかなり荒れた。僕はこの悔しさを全部両親にぶつけ、大学に落ちたことを全部両親のせいにした。



「家が貧乏だから悪い!」



「勉強できる環境がなかったせいだ!」



「出来の悪いお前らの間に生まれたせいだ!」



 思いのたけをすべてぶつけた。父はそれを腕組みしながら聞き、それから静かに立ち上がって僕の頬を思いっきり殴った。



「落ちたら人のせいか? お前は一生何かに責任転換して生きていくのか!」



 父と初めて殴り合いの喧嘩をしたのはその時期だった。母の涙を見たのもその時期だった。



 ちょうど滑り止めの大学には受かっていたから、何とか浪人はしないで済んだ。それが今のFランクの大学だった。そして、その大学ではトロンボーンを吹ける環境にはなかった。今思えば、環境がないなら作ればいいだけだと逆に楽しんだかもしれないが、今以上に僕は若かったのだ。



 受験に失敗して、夢も希望もなくし、残りの高校生活はまるで屍のような自堕落な生活を送った。



 その頃にふらっと立ち寄った本屋で何となく手に取った小説が、ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」だった。行き場を失い、人生に失望しかけていたときに、「オン・ザ・ロード」に出会い、考え方が180度近く変わった。まるで、自分らしく生きていけばいいんだよと語りかけてくれるような小説だった。



 それから大学では軽音サークルに入った。クラシックと違って、何となく自由な音楽ができそうな気がしたのだ。そこで、一からギターを始め、指の皮が剥けるほど練習した。先輩に教えを請い、講義の空き時間が少しでもできると、一人でスタジオに入ったりもした。



 もしあの日、あの時、あの場所でケルアックに出会っていなかったら、僕はどうなっていたのだろうか。きっと、生きがいをなくして自殺していたかもしれない。そう考えると本当にぞっとする。



 そんな経験のある僕だからわかる。きっと僕で言うところの「オン・ザ・ロード」がアヤカで言うところの「デトックス」だったのだろう。