そして、非日常が日常に変わりつつあったある日、いつものように、大学の講義を受け、電車に乗って帰ってくると、部屋にはアヤカの姿はどこにもなかった。



 ダイニング、ワンルームはもちろん、トイレにも、バスルームにもいない。まさかと思い、洗濯機を開けてみたが、当然ながらアヤカの姿はなかった。



 どこに行ったのだろうか。



 久しぶりに大学に顔を出したのかと一瞬考えたが、それは違う。今朝、「今日も講義ないのか?」と訊いたら、「ない。」と返ってきた。嘘をつくとも思えない。



 となると、コンビニに昼飯でも買いに行っているのだろうか。なんて冷静に考えようとしたがそれができなかった。嫌な予感が頭に過ったのだ。もしかすると、アヤカはここを出て行ってしまったんじゃないかと。



 アヤカが僕の前の前からいなくなるということは、幻想世界が終わることを意味していた。理由は簡単だ。アヤカとの出会いが幻想世界の始まりなのだから、その対象がいなくなれば終わりということになる。始まりがあれば、必ず終わりも来る。サッカーの試合も、遠足も、大学生活だってそうだ。僕は自分でも不思議なくらいその終わりが来ることを恐れていた。



 非日常であるはずのアヤカとの生活が、日常になりつつあったのに、アヤカがいなくなることによって、また非日常に逆戻りしてしまう。ジレンマのような不思議な感覚に陥っていて、こんなことなら出会わなければよかった。目を合わせなければよかったと思った。



 不安になって、僕はスマホを取り出した。取り出して、電話帳を開いて気づいたのだが、僕はアヤカの連絡先を知らなかった。



 僕が知っているのは、一緒に暮らしている女性がアヤカという名前の他に、同じサークルに入っていることと、本を読むのが好きだということ、煙草を吸い過ぎること、身体の作りくらいなもので、肝心なところは何も知らないのだ。



 普通は、知りたいと思って、知ろうとするものなのかもしれない。ただ、何も知らないからこそ一緒に暮らせるのだとも思った。知らない方が幸せなこともある。つまり現状の僕は幸せなのかもしれない。