世界はまだ君を知らない





……ったく、あいつは。

俺も『ちょっと口説いて』なんて言われたことが気に障り、つい大人げない言い方をしてしまった。



ごほん、と咳払いをして誤魔化していると店員が藤井の分のビールを運んでくる。

そして去って行った店員にその場にふたり残されると、上坂は自分のグラスに手を伸ばす。



「藤井って、ひとりでにぎやかな奴ですよねぇ」

「本当だな」



苦笑いを見せてひと口飲むと、上坂はトイレの方を見てまだ藤井が戻ってこないことを確認し、小さく口を開く。



「……あー、あの、仁科店長」

「なんだ?」

「独り言だと思って聞いてほしいんですけど」



独り言……?

言葉の意味を問うように上坂を見ると、その横顔は目の前のグラスを見つめる。



「さっき、千川が変わったって言ったじゃないですか。あれ、誰かさんが来てからだと思うんですよね」



『誰かさん』と言いながらもそれが誰かなど分かっているかのように強調する。

けれど俺は敢えてなにも口を挟むことなく、言葉の続きを黙って待った。