奥方様の出身はどこかの華族の出だったか、はたまたその辺の本百姓の出だったか、誰も知るものはいない。
ただ一つわかるのは奥方様の優しさを見初めて、旦那様は彼女を娶ったということだ。
旦那様と奥方様の歳は同じくらいらしく、まだ30をいっていないという。
旦那様と奥方様が仲良く並んで歩いているところはあまり見たことがないが、夫婦仲は円満であるらしい。
たが旦那様は忙しいお方で、屋敷を空けることも多く、奥方様は寂しい思いをしていらっしゃるという噂も聞こえてくる。
まぁ、あくまで噂だが。
夏生自身、噂はあまり信用しない質であり、そんなこと自分が仕える上で全く関係ない話だ。
自分は人の生き方にどうこう言える立場ではない。
調理室で奥方様に運ぶ食事を盛り付けながら、夏生がそんなことを考えていると、ドカドカと廊下から足音が聞こえてきた。
こんな大きな足音を立てる奴なんて一人しかいない。
「使用人長だ」
自分を探しに庭を一周して、ここへ戻ってきたのだろう。
逃げることもできるが、奥方様の食事の用意をないがしろにするわけにもいかない。
また、苦手な相手だが、使用人長は一応上司なのでる。
「夏生！やっと見つけた！」
使用人長が調理室のドアを開けるのと、夏生が全ての料理を皿に盛り付け終わったのはほぼ同時の出来事だった。
「あんた、探したんだよ！朝の忙しいって時にどこ行ってたんだい！今日こそは旦那様に告げ口してやる！あんたはサボってばかりで使えない奴だってね！」
「そんなこと言わないでくださいよ、使用人長」
夏生は余裕そうにワゴンカートをいじりながら言った。
「今朝はお部屋でお食事を召し上がりたいと奥方様が直々におっしゃっているので、僕がお運びしようと準備しているんです。僕だって仕事ができないわけじゃありませんよ」
夏生は言ってやったと言わんばかりに含んだ笑みを使用人長に向けながら、食事をワゴンカートに乗せて調理室を出た。
それを見送る使用人長は少し悔しそうに、しかし冷たい目で夏生を見ていた。
「奥方様のお気に入りめ。いつか絶対クビにしてやる」

「旦那様のお気に入りめ。クビになんてなるものか」
夏生は少しすがすがしい様子で、しかし遠くを見つめながら廊下を歩いて行った。