少し都市から離れた地に、ある華族の館が建っていた。
その外装はヨーロッパの文化を取り入れた精巧なものになっており、庭も一日ではまわりきれないほど広い。
館の中では朝早くから使用人達が働き、主人の朝食の準備をしている。
「夏生!夏生はどこだい!」
大勢いる使用人達を束ねる使用人の長は裾の長い服を翻しながら廊下を走り回っていた。
「ちょっと芳子、夏生を知らないかい!」
芳子と呼ばれた料理運搬担当の若い女の使用人は、急に話しかけられたことに驚きつつも、落ち着いた様子で答える。
「存じ上げません」
「そうかい。まったくあの子ときたら忙しいのにどこへ行ったのかねぇ!」
「きっと庭の林檎の木の上で昼寝でもしているのでしょう。あそこはあの子のお気に入りですから」
「それにしては随分早い昼寝ね」
使用人長は皮肉まじりに呟きながら芳子の前を通り過ぎて行った。

「もう行ったわよ」
使用人長が去った後、芳子が傍にあったワゴンカートに話し掛けると、そこからひょろりとした青年が出てきた。
歳は十六ぐらいだろうか。
まだ少年の頃のあどけなさが残る。
青年は少し癖のかかった髪をかきあげ、ゆっくりと立ち上がった。
「ふー。肩が凝った。」
「またサボり?いい加減にしなさいよ夏生」
彼こそ先程使用人長が探していた夏生である。
「助かったよ。サンキュー、芳子さん」
「なによその『さんきゅう』って」
「知らない?異国の言葉さ」
夏生はのびをしながら答える。
その脇で芳子はため息をつきながら言った。
「異国の言葉や文化を覚えるのもいいけれど、自分の仕事はきちんとなさい。もう何年ここで働いているの?奥方様付きの使用人としてもっと自覚を持たないと」
「まったく、口うるさいなぁ芳子さんは」
夏生は口を尖らせた。
「文句を言う時間があるなら奥方様を起こしに行ってきなさいよ。それなら使用人長からのお叱りも受けなくてすむでしょう?」
「はいはい」
「『はい』は一回でよろしい」
「はーい」
面倒くさそうにぷらぷらと手を振って、夏生は歩き始める。
そんな去っていく彼の後ろ姿を見つめながら、芳子はもう一度大きなため息をついた。