1864年7月8日。
時刻は真夜中、亥の刻を過ぎていた。
まだ梅雨があけたばかりの京都はじめりとしていて、人の通りも少ない。
その中をダンダラの羽織を着た侍達が颯爽と歩いていた。
彼らの名は新撰組。
この時代、政局の中心である京都には、尊皇攘夷の思想を持つ浪士たちが集まり、街の治安は悪化の一途をたどっていた。
そんな不逞浪士たちを取り締まり、京都の警護のために結成されたのが新撰組である。
結成当初、約20名という少ない人数であった隊士たちは、日々の功績のおかげか人数はだんだんと増え始め、今や十倍近くの人数になった。
今夜も長州や土佐、肥後の浪士たちが旅館池田屋で会合を行っているという。
「浪士たちが逃げないようにお前達は裏庭にむかえ」
新撰組局長近藤勇は後ろに続いていた隊士達に命令した。
新撰組にとって池田屋襲撃はこの日の本にその名を轟かせることのできる絶好の機会であった。
だからこそ失敗は許されない。
「沖田、永倉、藤堂は俺と一緒に突入するぞ」
池田屋を前にして近藤が言った。
隊士達の間に緊張がはしる。
つかの間の静寂の後、近藤が池田屋の戸を勢いよく開け放った。
「店の主人はいるか!御用あらためであるぞ!」

「し、新撰組…!」
突如現れた新撰組に慌てふためく店主。
その様子から、やはりこの旅館で会合が行われていることを近藤は悟った。
しかし店主は近藤らの目を盗み、階段を駈け上がろうとする。
「待て!」
近藤は沖田と共に店主の後を追い、2階へと上がった。
「!」
そこには長州、土佐や肥後など20人程の浪士たちが集まっていた。
「御用あらためである!刃向かえば容赦なく斬り捨てるぞ!」
近藤がそう言い放つと、隊士たちと浪士たちの間に緊迫した空気が漂い始めた。
しばらく両者は睨み合いを続けていたが、一人の浪士がその沈黙を破り、斬りかかってきた。
「新撰組め!」
その振りおろされた刃を沖田は楽々と受け止め、神速のごとく斬り捨てる。
「幕府に刃向かう不逞の輩だ。誰一人として逃がすな!」
その言葉を皮切りに隊士達は一気に池田屋に突入した。
隊士達の会話は途絶え、刀がぶつかり合う音と斬られた浪士たちの断末魔だけが池田屋に響いていた。
のちに日本中に知れ渡ることとなる池田屋事件。
隊士達の長い夜が始まった。