重ねないなんて、到底無理な話。物心ついた時から思い出していた、憶えていた前世に影響されないなんて、そんなことできるはずもない。そうやって私と彼はずっと一緒に生きてきたのだから────ちゃんと、その時代の彼も、好いているのだけれど。


生まれ変わりなんて、どこにでもいる。


記憶がないだけで、誰もが誰かの生まれ変わりだ。天音だって、恐らく、渉が疾風と呼んでいた子もそうで。ただ憶えていないだけ。私と渉は憶えているだけ。


それなのに、その憶えていることが分かった途端、世間は私たちをきっと奇異な目で見てくる。


そういう世界だ。そういうものだ。昔もそうだった。初めて記憶を持って生まれ変わりをしたとわかった時、彼と二人騒いで、変だ変だと言われ続けた。そこはいつの時代だって、変わらない。だから同じ間違いはしない。


私も彼も、目立ちたくないから。非日常は、好きではない。頑なに日常だと信じなかったあの頃を、どうしても思い出してしまうから。


渉が次に思い出す時代はいつだろう。私が大切な記憶を思い出せるのはいつだろう。


大切な記憶があることだけは、憶えている。けれどその内容は思い出せないまま、記憶のない彼と出会って、彼が聡太郎と文だった時代を思い出して。私だって全て憶えているわけではない。紬としての昔を全て憶えているわけではないように、それぞれの『私』だった頃の私の記憶を全て憶えているわけではない。


それとは別に、忘れてはいけない時代を、私はきっと、忘れてしまっている。


それは、今までも思い出せていなかった時代。ずっとずっと、ずっと昔の時代。そして恐らく、私と彼が初めて出逢った、時代。


忘れている、ということは分かっている。けれどそれがなんなのか、分かるような分からないような、分かっているのに心が知ろうとしていないような、本当に何も知らないような。


ひとつ、はっきりしていることは。うた、に関わるひとだということだけ。


心当たりが、ないわけではなかった。その心当たりに、何故今、と思ってしまうのもまた、事実。


前、は、こういったことはなかったのに。かみさまの悪戯、だろうか。そもそも、私と彼がどの時代でも記憶を持っていること自体から、かみさまの。


かみさまの悪戯だとしたら、私たちにはどうしようもないのかもしれない。ずっとずっと、ずっと昔からそうだったように、この先も恐らく、同じように記憶を持って、彼と出逢うのだろうと思う。


その中で、幸せに結ばれるのは何回あるだろう。何事もなく、ただ平和な日常を過ごすことのできる人生は、何度あるのだろう。信じても裏切られることのないあしたが来る日常は、一体。


今までは、一度としてなかった。いつだって、私と彼が平和に結ばれることはなく、離れ離れになったり、死別してしまったり。