それに、今日は七月六日だから。本来なら七月七日に川か海に流す、もしくはお焚き上げをするのが正しいやり方。流石にそこまでは求められないけれど、七月六日のうちに短冊を飾りきることができるのは、個人的に嬉しい。
「で、なにを書いたの?」
「うた」
「だと思った。誰の?」
「柿本人麻呂。七夕のうた、あるじゃん。────大空ゆ 通ふ我れすら 汝がゆゑに 天の川道(かわぢ)を なづみてぞ来し」
「あれかあ。じゃああっちも書かないとじゃん。えっと、我が待ちし」
────我が待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 彼方人(をちかたひと)に
柿本人麻呂の、もう一つの七夕のうた。俺が短冊に書いた大空ゆ、が彦星視点だとすれば、我が待ちし、は織姫視点のうただ。
────私が待っていた秋萩が咲きました。今すぐ川向こうのあの方に逢って触れたい。
────大空を行き交う私ですが、貴女のために、天の川を苦労してやってきたのですよ。
現代語訳は、こう。柿本人麻呂は幾つか七夕の和歌を詠んでいて、その中でもこの二つが、呼応しているように思えて、二つセットで覚えていた。それを、紬も覚えていたということ。
やっぱり、和歌の話ができるのは楽しい。
それも、同じうたを覚えていた、なんて。
「あとで、書きに行く?」
「……だね、書かないと。使命感」
「その前に、お昼どうする?」
早めに行かないと、目ぼしいものは売り切れてしまう。今年出ている飲食店は焼きそばとホットドッグ、喫茶店でパン系を売っていたところがあったはずだが。
「人混み、苦手だから、食べなくても私は別に。渉が行くなら、私文芸部で友達待ってる」
「否、紬が行かないなら俺も行かない。元々昼飯食べるつもりあまりなかったんだよ。人混み、俺も苦手だから」
逆にその方が都合がいい、人混みは苦手だ。どうしても、活気付いた空気に馴染めない。今まで、大勢で騒ぐことなんてなかったのだから。────そう、今まで。
じゃあいっか、と落とした紬に頷く。本来なら育ち盛りで一食抜くなんてばれたら両親に怒られそうだが、俺の事を分かっていてくれるだろうと期待するしかない。むやみやたらに怒ることはしない両親だ。ちゃんとこちらの話を聞いてくれる。
「いつもと違う学校って、なんかやだよね。ひとの文化祭に来ておいて、だけど」
「でも分かるよ。なんていうか、非日常って感じで、あまり好きじゃない」
日常で、十分だ。変わらない日常が過ごせることがどれだけ倖せなことなのか、俺は知っている。


