「……分かった」
微妙になってしまった雰囲気に、手元の万葉集をぱらぱらとめくる。紬の方を見ることはできない。どういう表情をすればいいのか、分からない。
話をしたいのに。ただ、うたを。
「────天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
落とされたうたに、顔を上げる。七夕だね、そう言って俺を見上げた紬と、漸く視線を合わせることができた。
七月六日。七夕は明日。
透き通るような、何かを見透かすような紬の視線に、今度は目が離せなくなりそうな。
「俺、長恨歌かな、って思ってた」
確かにそのうたも、七夕のうただと云われているし、そうだと思う。とても綺麗なうた。天の川と、月の舟と。星の海ではなくて、星の林、そう喩えた詠み人の感性が好き。
誰が詠んだのか、それは分かっていない。作者未詳、詠み人知らず。だからこそ、分からないからこそいいのかもしれないとも思うけれど。
「そっか、長恨歌も七夕だっけ」
「そう。一番有名なあそこの、ね」
「比翼連理、だよね」
こくり、と頷く。長恨歌は万葉集でも和歌でもなく、漢詩。詩の全盛期と云われた漢代の後半、中唐。玄宗皇帝と傾国の美女と云われた楊貴妃を題材とした白居易の代表的な長歌。
「────七月七日長生殿、夜半人無く私語せし時、天に在りては願わくは比翼の鳥と作り、地に在りては願わくは連理の枝と為らんと」
────七月七日の長生殿に、夜も更けた頃に二人だけでひそかに語り合った。もしもこの身が滅んで天に召されたら、片翼しかない鳥になろう。もしも地に戻されたのなら、連理の枝となろう、と。
そう訳される、比翼連理の約束の一節。その契りを結んだ日は、五節句の一つ、七夕。
紬の言ったうたも知っていたけれど、どちらかといえば俺は長恨歌の方が馴染み深い、それは恐らく兄が教えてくれたことだからだろう。
なんだかんだ、兄も文学部に通っていたのだから。
「それ、七夕のお祭りとは違うかなって。どちらかというと、七夕のうたより比翼連理のイメージが強いんだよね」
「まあ、確かにそうかも。天の海に、は七夕のうただもんね。でも俺、長恨歌好きなんだ」
「私も、長恨歌は好き。比翼連理とか、正直憧れたりもするし……」
「そう?」
あまりそう考えたことがないのは、俺が男だからだろうか。それとも。
「渉は違うんだ?」
「俺は、そうだなあ……未来とか信じてないからだと、思う。未来というより、比翼連理だと来世になるしね。長恨歌自体は好きなんだけどね?」


