ねえ、渉。
苦しいね。辛い。大切な存在が傍にいるのに、大切だった存在がまた大切な存在になっているのに、過去のことを知っているのは私たち二人だけだ。例えそれを伝えたとしてもあくまでそれは『知識』に過ぎず、私たちが求めている『記憶』とは全く別のもので。
確かに、私と、否額田王と鏡王女は交流はほとんどなかった。けれど私たちは、お互いが姉妹であることを知っていた。
何故なら、額田王の前に中大兄皇子と結ばれていたのは、紛れもなく鏡王女。そしてあの出来事があってから、姉は藤原鎌足────当時はまだ中臣、だったけれど。中臣鎌足の正妻として下賜され、私は泣く泣く中大兄皇子と結婚をした。
私が大海人皇子をずっと想っていたことを、鏡王女は知っている。だから止めようとしてくれていたことも、それでも周りを止めることはできなかったことも、姉が悔しがっていたことも。そして表向きは下賜、本来は捨てられたと言っても過言ではなかった相手、中臣鎌足と幸せな生活を送ることができたことも。
私は知っている。私の中の、額田王が、憶えている。
君待つと、の歌の真意も、きっとこの姉は気づいて。返歌と云われる、風をだに、のうたが、嫁いですぐ中臣鎌足とどう接すればいいのか迷っていた時のものだということも。まだ本気になれていなかった彼女が、私を励ますために詠ってくれたものだということも。
知っている。憶えている。思い出す。
私は姉が大好きだった。だからこそ、自分の愛している彼と別れなければならなかったこと、姉なりに愛していた彼の兄と別れさせたこと、それを姉が悔いていたこと、自分のことばかりで私は姉に何も返せなかったこと。それが悔しくて、苦しくて。けれど返したいと思った頃には、姉はもういなかった。
私と、姉と、彼と、彼の兄。
私たち四人は、その昔、とてもとても複雑な関係だった。
私が彼の兄のところへ嫁いだ時、姉の懐妊は発覚していた。それでも、まだそんなに大きくはなっていなかったお腹を庇うように撫でながら、ごめんねと一言、姉は私に謝った。謝らなければならないのは私の方なのに、それでも姉はどこまでも私の姉で、お腹の子の母親の顔をしていた。
その時の子が、のちの藤原不比等。藤原氏の繁栄を築いた功労者の一人。
諸説あるが、藤原不比等は紛れもなく中大兄皇子の子に違いない。けれど諸説あるのは、中臣鎌足が我が子のように可愛がって育てたからだ。そしてそのおかげで、姉は中臣鎌足を心から愛すようになった。
彼の兄との子が、姉と姉を愛してくれる人を出逢わせた。それは、彼の兄が私のことを漏らしたからだ。そしてそれも、私が彼を本気で愛し、彼が私を本気で愛していなければ恐らく叶わなかったこと。


