他の人には分からなくても、私たちは分かる。他の人には分かってもらえなくても、お互いだけが分かっていれば、それでいい。


私たちの、始まりの時代は。額田王と、大海人皇子だった頃は。一緒にいるのが当たり前なんて、そんな時代なかったから。離れ離れにならざるを、得なかったから。


だから、それ以降の時代は、今この時代は。こうして気軽に会えるだけで、幸せだ。


当たり前が当たり前であることが、どれだけ幸せなことか。当たり前が当たり前でない頃の、あの痛い程の気持ちは、いまも自分の中にしっかり残っている。だからこそ、一緒にいられる時間は貴重なものであると分かっているし、この細やかな約束が、どれだけ私の救いになっているか、渉には多分分からない。


それは分かってほしいわけではないから、いいのだけれど。自分だけが分かっていればいい感情だ、こんな苦しいもの、他の人にまで感じてほしいとは思わない。それが渉なら、尚更に。


────うつつには 逢ふよしもなし 夢にだに 間なく見え君 恋ひに死ぬべし


────現実にはとても逢うすべがありません。せめて夢の中だけでもいつも逢ってください。でないと、恋に苦しんで死にそうです


万葉集、第十一巻に収録されているうた。誰が作ったのかは分かっていないけれど、詠んだひとの気持ちは、なんとなく分かる。


逢いたくて逢いたくて堪らないのに、逢ってはいけない立場になった。好きで別れたわけではないのに、現実はどうしようもなく非情で。彼を想って詠んだうたすらも、その本心をそのまま言えるわけもなく、気持ちをごまかすしかなかった。


うたをうたう人として、できることならしたくなかったこと。本心を隠して詠む、それ自体が嫌なのではなくて、その状況を偽って書くしかなかったことが、私には今だにしこりになって残っている。


どうしようもない、仕方ない、でまとめたくなかった。実際そうだったとしても、偽るなんて嫌だった。


けれど、彼にも、彼の兄にも迷惑がかかることは分かっていたから。そこまで私を縛り付けずに自由にさせてもらった分、迷惑だけはかけたくなかったし、彼に被害が及ぶことは避けたかったから。


今振り返ると、あの時代の自由なんて大したこともないが。それでもあの不自由極まりない時代で他よりは自由にさせてもらったことは分かっているし、そこにはちゃんと感謝もしている。


本当に、何もかも、条件が悪かった。


「あかねさす、紫野行き、標野行き、……っ野守は見ずや、君が袖振る」

「紫草の、にほへる妹を、憎くあらば、人妻ゆゑに、われ恋ひめやも」