かさかさと草が立てる音の合間に、紬の息遣いが聞こえる。時折聞こえる息を呑む音は、涙を堪えているからか。何度かつかえながらも深呼吸をした紬がぽつり、と落とした言葉に、俺はその場から動けなくなった。
「────渉が、好きなのに」
どうして。だって、紬には────額田王には、中大兄皇子が。
「まだ、思い出してないからだよね……」
なにを、と思わず溢れそうになった言葉を飲み込む。確かに思い出していないけれど、一体なにがあるというの。
「ずっとずっと、ずっと昔から、」
私は、彼が。
それきり、戻ってくる静けさ。言葉の続いはないけれど、勘違いしていいのなら、続く言葉は想像に容易い。
だって、今までずっと言い合って来た言葉だ。
でも、彼女には彼が。俺ではなくて、兄が。けれどそれは史実での話で、実際にどうだったかは分かっていない────そう、分からない。
でも、思い出せないものはどうしようもないじゃないか。
俺だって、思い出したい。怖いけれど、どうなるかなんて分からないけれど、思い出したくないわけじゃない。思い出したいけれど、怖い。思い出したくないと思うのは、なにが起こったのか分からないのがこわいから。
これだけ『知って』『分かって』いても、思い出せない自分が情けない。思い出したいのに、思い出そうとしているのに。思い出せそうだったのは一度きりで、それ以来一度もそんな感じは覚えていない。
「────ねえ、渉」
紬の呼びかけに、どきりと心臓が跳ねる。
「やっぱり、いないの?」
確認しただけか、と胸を撫で下ろす。音は立てていないつもりだが、気付かれたのだと思った。
心臓に悪い、と思いつつ、注意は払ったまま。なにがあったとしても俺と紬は『記憶』を共有する者で、些細なことから気付かれる可能性だって十分にある。
「渉だから、ここにいると思ったのに」
紬の読みは、外れていない。
ここは、『渉』と『紬』の場所。他の誰でもない、俺たち二人だけの、場所。だからここに来ようと思ったし、紬もここだと思ったのだろう。俺と紬だからこそわかる場所、だ。
「帰りたくないなあ……」
危ないから、帰って欲しいのだけれど。伝えたい言葉は、ここにいるのが、話を聞いていたのがバレることが怖くて心の中でだけ呟く。
「というか、渉がここにいたら、全部聞かれちゃってるんだ」
だったら、尚更、
「帰って来て、欲しいんだけどな」
本当は。


